例えばこんな台詞があったとする。
まずは「買い物」というキーワードで近所のスーパーを思い浮かべて、そのレジに並ぶ自分を思い浮かべる。
「コーンフレーク」でミルクボーイさんの漫才する姿、買い物カゴ、慌てる自分の仕草、レジに並ぶ長い行列、後ろのタモリさん、というように、言葉と一緒に具体的なイメージを並べていくのだ。
その言葉から自分が一番にぱっと浮かんできたイメージがいい。誰に知られるものでもないから、超個人的見解のイメージでいいのだ。
しかし、時代劇など使い慣れない言葉を使う台詞や、口にしたこともないような専門用語が並ぶ台詞はこの方法では覚えられない。
この場合は何度も何度も繰り返し言ってみて、短期間に強制的に馴染みのある言葉にしてしまわなければならない。
「覚えた」とは、どういう状態を言うか。
台詞の場合は、家で一人ですらすら言えるようになったからといって、現場で同様に言えるとはかぎらない。
現場ではたくさんのスタッフに囲まれ、カメラの前で、皆に注目された状態で演技することになる。かなり緊張を強いられた状態だ。
プラス、時間に追われている、猛暑、もしくは酷暑、もしくは強風、などの環境的なバイアスなど、集中をそがれる要素がたくさんある。
なので、そういう環境下でもゆるがずにつらつらと口から出て来るようになってやっと、「覚えた」と言えるのである。
しかし。
脳にハンコを押したようにくっきりと台詞を焼きつけるなんてむりなのだ。
ゆらぐのだ。
そこに気持ちの揺れをプラスするから。
「役者は嘘がうまい」
なんて言う人は何も分かっていない。
感情の揺れの伴わない状態で言う台詞は下手な台詞だ。それは演っている自分が一番よくわかる。しっくりこないし気持ちが悪いから。だから、嘘にならないように、自分をだますのだ。
実際に悲しい出来事など起きていないのに、起きてしまったと真剣に思い込んで、それを自分の中で「本当」にするのだ。