五大老の一人・輝元は、いずれ家康の刃が毛利家に向けられるとして、対処法を考えていた。五奉行の座を追われた三成は、家康を排除して奉行衆が豊臣政権を運営する体制に戻すため、家康派の福島正則、加藤清正らさえも豊臣に弓引くことができない秘策を作り上げた。三成の家臣・島左近から三成の計画を聞いた輝元は、理屈が先走っている弱点はあるが有効性は高いと判断し、具体的な実行プロセスに落とし込んでいく。

 関ヶ原の戦いは、正則、清正ら武断派と三成ら官僚集団の対立が遠因とされるが、著者は、有力大名の家臣や国衆に目をかけて家内の分断を煽り、政権の安定化を目論んだ秀吉の手法が各所で軋轢(あつれき)を生み、それも豊臣離れの一因になったとする。その結果、豊臣政権には幾つもの派閥が生まれ、家康と輝元が派閥の力学を読みながら謀略戦を繰り広げ多数派工作を進める展開には、合併で巨大になった企業の派閥抗争を見ているような生々しさと現代性があった。

 家康と輝元が、相手に勝利するため着実に布石を打っていくところがリアルなだけに、実際に関ヶ原の戦いに向かう時期にこのような動きがあったのではと思えるほどである。だが輝元が、この人物は自分の思う通りに動いてくれるはずだとの楽観論をベースに戦略を立てたのに対し、叩き上げで人心のうつろいやすさを知る家康は、悲観論的な傾向が強く、常に最悪を想定して次の手を考え、計算が狂った時の二の矢、三の矢も用意するくらい慎重だが、乾坤一擲(けんこんいってき)の局面では迷いを捨て決断した。

 苦労と失敗から学び、細心の注意を払い勝利を掴んだ本書の家康は、日本型の組織とリーダーが抱える問題点と、それを打開する方法に気付かせてくれるのである。

週刊朝日  2022年12月2日号

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