河野氏の性格について、眞壁氏はこう続ける。


「太郎はすぐに怒鳴るとかキレやすいんじゃなくて、適当にごまかそうとする人や、やったフリをする人、うまく乗り切ろうとする人が大嫌いなんです。議論をしたら面倒なことになるかもしれないけど、そこを避けて通ろうとはしないんですよ。声が甲高いから、熱が入ると怒鳴っているように聞こえちゃう。私とも何度も熱い議論になったことがありますよ」


 結果、河野氏はベルマーレを小田原市や茅ケ崎市、厚木市なども含めた湘南地域をホームタウンとするチームに再編。新たに「湘南ベルマーレ」として再出発させた。1999年から2002年まで湘南ベルマーレの会長として汗をかき、以後は眞壁氏に引き継いだ。


 湘南ベルマーレの経営から離れた後は、政治家として出世街道を歩み、外務大臣や防衛大臣を歴任するなどキャリアを重ねた。だが、私生活は一向に変わることなく、地味なままだったという。


「昨年、金の時計をしていると騒がれたけど、実際は竹で作った時計が反射して光っていただけです。車は国産エコカーばかりだし、高級品には興味がないみたいですね。自慢の一品は、ソーラー板がついている変わり種のリュックサックくらい。酒はワインも含めてまったく飲めないので、スナックへも行かないし、本当に政治が趣味の人ですね」(眞壁氏)


 今回の総裁選出馬について、眞壁氏はベルマーレの再建と重ね合わせてこう話す。


「太郎は英語が堪能だから、世界とのパイプがある。ペンタゴンに大学時代の旧友がいて携帯で話ができるし、中東にもヨーロッパにも人脈がある。太郎みたいな政治家は今後、日本に現れないと思います。総裁選はどうなるかわからないけれど、頭を取らないと何もできない。ベルマーレを立て直した時のように、嫌なことにもぶつかっても、きっと日本に必要な政治をやってくれるはずです。次の世代のために、日本が沈没してしまわないように、頑張ってほしい」


 総理になれない一族、と言われ続けた河野家。河野太郎という3代目がそのジンクスを破るか否か、地元支援者たちも固唾をのんで見守っている。(AERA dot.編集部・上田耕司)

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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