「ゴルゴ13」で知られる劇画家のさいとう・たかをさんが9月24日、すい臓がんで亡くなった。連載していたビックコミック編集部が29日に発表した。週刊朝日では生前、さいとうさんの人生を振り返るロングインタビューを実施。劇画家としての矜持を語っていた。故人を偲んで、一部を再掲する。
◇◇◇
あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は劇画家、さいとう・たかをさんです。
* * *
劇画は、特に昔は「ひとりで描くもの」という固定観念が強かった。映画で言ったら、チャプリンみたいな天才ばかりを探しているようなものです。
この世界でも手塚治虫先生みたいな天才は出ますが、分業にすればもっともっとたくさんの作品を世に送り出すことができる。それに、絵は描けるけど話が作れない、話は作れるけど絵はうまくない、そんな人がいつの間にか消えていくのをたくさん見てきました。それはもったいないし、天才しかやれないなんていうのは、職業とは言えません。
私がほかの劇画家仲間と一番違っていたのは、劇画を「職業」として考えていたこと。その意識があったから、劇画で初めて「分業体制」を取り入れました。映画は監督がいて脚本家がいてプロデューサーがいて集団で作っていく。そんなふうに劇画の世界を変えたかったのです。
――昭和35年にさいとう・プロダクションを設立。新しいスタイルでの作品作りをスタートさせた。
一応、分業化の先鞭はつけられたと思うけど、「まだまだやれたはずだ」という思いもあります。グループ分けして、それぞれで描いていったらすごい数の作品が作れたんだけど。結局、「さいとう・たかをのさいとう・プロ」になってしまった。