それに対し「八色の姓」では、(1)真人、(2)朝臣、(3)宿禰、(4)忌寸、(5)道師、(6)臣、(7)連、(8)稲置というように、明確な等級・序列が設けられていた。これにより天武は、「天下のすべての姓をこの新姓に一本化するのだ」と言っている。

 最上位の真人を皮切りに、順次、新しいカバネが諸氏に授けられていったが、結果的にあたえられたのは(1)~(4)の上位4姓のみだった(真人13氏、朝臣52氏、宿禰50氏、忌寸11氏)。

(4)の忌寸までの4姓を授与されたこれら豪族(計126氏)は、これ以後に制定された位階制(正一位から少初位下までの30階)のもとで「五位」以上を授かる資格を認められることになる。「五位」以上は「貴」「通貴」と呼ばれ、いわゆる貴族階級に相当し、国家を運営する高級「官僚」になれる階層とされた。上位4姓をもらえた豪族は万々歳だが、「八色の姓」制定直前に連のカバネを授与され、「官僚」になれる資格を暫定的に認められながら、最終的な選にもれた豪族たちは悲劇だった。

 天武自身による審査と決断によって、高級「官僚」になれる豪族とそうでない豪族とに情け容赦なく選別され、大化改新以来の「構造改革」はようやく所期の目標を達した。壬申の乱を勝ち抜いた天武の「カリスマ性」がなければ、このような一大リストラは到底不可能だったのだ。

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