<春の光溢るる野辺の柔かき草生(くさふ)の上にみどりごを置く>
「1992年(平成4年)に眞子さまの誕生を歌に込められたほど、それはそれは可愛がっていらっしゃいました。美智子さまと眞子さまのエピソードはいくつかあって、2005年の夏に上皇ご夫妻は満蒙開拓の引揚者が入植した栃木県那須町の『千振開拓地』をお訪ねになりました。美智子さまは、ちょうど那須御用邸に滞在中の眞子さまを開拓地にお連れになったのです。当時、眞子さまは中学2年生でしたが、満州からの引き揚げ者の実体験に基づいて書かれた『流れる星は生きている』をお読みになっており、美智子さまは『色々な事を学ばれている』と喜ばれたそうです。眞子さまは小さい頃から養蚕のお手伝いもしていて、お蚕さんのことを質問する眞子さまと美智子さまとのお手紙のやり取りは有名なお話です」
眞子さまは26日に婚姻届けを出すものの「儀式なし」のため、天皇、皇后に別れを告げる「朝見の儀」もせず、祖母・美智子さまとの思い出の詰まった皇居を出ることとなる。このことに渡邊さんはある意味では肯定的に捉える。
「眞子さまも苦しんで自分で決めたのでしょう。儀式だけでなく、国民の感情も考えて1億5000万円と想定されている支給金を置いていくと決めた。このお金を辞退する、しないでは大きく国民感情が変わったと思います。その点ではよく考え抜いたと思いますよ。眞子さまは、小室さんの働くニューヨークで暮らすとされていますが、米国には皇室や王室がないので、プリンセスとしてものすごくモテるというか注目を集めて、色々な仕事が舞い込んでくる可能性がある。講演会の依頼がきたり、小室さんの収入を上回ることだって可能かもしれません」
26日の婚姻届け提出までには少し日にちがあるが、まだまだ波乱がないとは言えない。(構成/AERAdot編集部 太田裕子)