今年に入って何人の女性が、病院での中絶も出産も選べずに、自らの命を懸けただろう。法律だけ厳しく、あとは自己責任よと突き放すような社会ならば、一人で出産し、そのために亡くなってしまう女性や、無理な方法での中絶を選び亡くなる女性はもっと出てくるだろう。茨城の事件で「生まれてきた赤ちゃんがかわいそう」と言う人は少なくなく、その通りだと私も思うが、この国で女でいることがそもそも「かわいそう」なのかもしれない。法律をつくってきたのも、社会を運営してきたのも、政治を営んできたのも、女を罰してきたのも、子供を産む可能性がゼロの体たちだった。想像力が恐ろしいほど欠けていることが、この国で女でいることを危険にしている。
私の人生史上、女性が最も危険であった時代はいつだったろう。
アリッサの声を聞きながら、一瞬立ち止まるような思いになる。恐ろしいことに「そういうふうに言えるなんて、少しうらやましいな」と思ってしまう自分がいた。「今が最も危険」と言えないくらいに、常にここは危険だったし、さらにより危険になっているとも言えるし、女であることは物心ついたときからずっと危険と緊張を強いられる経験のようにも感じている。だから少なくとも、司法は私の味方だ、正義は私の味方だ、と信じられる空気が必要だ。
それなのに新しい日本の総理大臣となった岸田文雄氏は、「選択的夫婦別姓についてはまだ議論が必要」と衝撃的なことを言い(もう40年以上議論していますし、世論は選択的夫婦別姓を求める声が多数)、少子化対策を担う野田聖子氏は、「子供は日本が持続可能な社会だと国際社会に認めてもらう要素」と総裁選で語っていたが、野田さんが反対の声を封じるようにスピード成立させた生殖補助医療法は、卵子提供ビジネス、ゆくゆくは代理母ビジネスに大きく道を拓くものだ。生殖ビジネスに熱心すぎるこの政治家が、どんな少子化対策をするか正直怖い。「女性は産む機械」(柳沢伯夫氏)とか「子供いない女性を税金で面倒みるのはおかしい」(森喜朗氏)などという発言をした議員がずっと生き延びていられる自民党の政治が、この国の女性にとっての最大のリスクなのかもしれない。