千葉さんの20代は、揺れていた。

 女子校育ちの千葉さんだが、ステレオタイプな“女子的なもの”との縁は薄い。学生時代から、東京乾電池や東京ヴォードヴィルショーのような芝居を好み、日常の中で浮かび上がる人間の愚かさ、人生の勝負に敗れた人たちの悲哀などに心惹かれていた。

「最初に頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けたのは、唐十郎さんのアングラ劇でした。大学に入って本格的な演劇と出会い、初めて貧乏とか暴力をテーマに、人間の醜い部分を暴いていくような激しさを目の当たりにした。映画も任侠映画に夢中で、20代のときは、映画を観た後でその美学を肴にお酒を飲んでいたりしていたほどです」

 大学では演劇研究会の活動に勤しみながら、卒業するとき、好きな劇団のオーディションに応募するまでは思い切れなかった。本気で、芝居で生きていこうと思えるのか。どうやって生計を立てていけるのか。何も見通しが立たぬまま、周囲と足並みをそろえて就職活動をし、会社員になった。

「就職して1年か1年半ぐらいは、演劇と全く関わらない時期があったんです。会社員として、休日の楽しみはたくさんあって、山に行ってはスキーをして、海に行ってはスキューバをして、仕事に特に不満もなかった。でもそのときに、『楽しいけど、何か違う』って。なんとなく、学生時代に演劇にぶつけていたエネルギーを持て余しているような、妙な違和感があったんです」

 あるとき、大学を卒業しても就職しなかった演劇研究会の後輩たちが、「僕たち、芝居をやるので、一緒にやりませんか?」と誘いに来た。素直に「やりたい」と思った。

「後輩は全員が男性だったのですが、彼らは就職をせずにアルバイトで食い扶持を稼いでいた。私は、会社勤めを続けながら、年末年始や夏休み、文化の日に重なる連休の時期を狙って、有休を使ってお芝居をしていました。その間は、芝居を辞めるか、会社を辞めるか、ずっと葛藤の日々でした」

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