日本の経済社会が絶好調に見えましたが、渋沢栄一は危惧していました。このままで良いのか。建国家であった日本が明治維新を経て、やっと手に入れた豊かな社会が脅かされるのではないか。急速に富を得た事業家が「一夜大臣」、「成金」と呼ばわれるような時代でした。また、明治時代と比べると生活が著しく向上し、現状に満足している事なかれ主義の一般市民も目に付きました。このような時代背景で、渋沢栄一は『論語と算盤』を出版したのです。

渋沢健さん(筆者提供)
渋沢健さん(筆者提供)

 栄一は、『論語と算盤』で大きく声を上げました。「大正維新の覚悟」が必要であると。

「維新ということは、湯の盤の銘にいう『有に日に新たなり、日に日に新たにして、また日に新なり』という意味であるから、溌溂たる気力を発揮するときは、自然に生まれたる新気力を生じ、進鋭の活動ができるのである。」

 一見、好景気に見えても、明治維新の前後にあった社会の気迫が、50年ぐらいの年月を経ると失せていると栄一は嘆いていたのです。

「明治維新以来の事業中には、失敗に帰したものも有ったが、多数の事業は非常なる元気と精力とをもって、駸々として発展し来ったので、他に種々な原因あったにしろ、元気と精力の偉大なるものである。」

 今の時代の表現を用いれば、「前例がない」、「組織に通らない」、「誰が責任を取るんだ」と同じような社会的風潮が、栄一が提唱していた「大正維新の覚悟」の時代でもあったようです。その状態が継続することに、栄一は危険性さえ感じていました。

 「今日の状態で経過すれば、国家の前途に対し、大いに憂うべき結果を生ぜぬとも限らぬのであることを思い、後来、悔るがごとき愚をせぬように望むのである。」

 維新が無き大正時代の後に訪れたのは昭和時代でした。渋沢栄一が亡くなったのは昭和6年11月11日です。その二か月前に満州事変が起こります。日本は、大いに憂うべき結果が生じた、悔やむごとき愚の時代に突入し始めたのです。

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成長が分配への循環