「グリコ・森永事件」。高槻市内の公衆電話ボックス内で見つかった犯人からの脅迫状の一部。独特の大阪弁がタイプでうたれていた(c)朝日新聞社

 江崎社長は警察の事情聴取に応じたあと、記者会見の席に臨んだが、「私には全く犯人の心当たりがない。みなさんの中で、もし心当たりがあるなら、私に不名誉なことであってもかまわない、正直に警察に話してくれ」と言っている。この事件がどういう理由から起こったのか、皆目わからないというのであった。その意味ではなんとも不思議な事件であった。

 その後も江崎社長のもとには、6000万円をだせ、といった新たな脅迫状が送られている。江崎グリコはなんらかの理由でターゲットにされたということになろう。

 この事件の不思議さは、警察の関係部門やメディアに丹念に脅迫状が送られてくるという犯人の依怙地さにある。4月8日にメディア二社に、「けいさつの あほども え」という一文が送られている。これが冒頭に掲げた一文である。これを檄文というわけにはいかないが、このグリコ事件をきっかけに次つぎと食品メーカーに脅迫状が送られてくる様を称して、「劇場犯罪」という語も生まれたほどだから、最初のこの一文は、劇場犯罪を生む社会の病いを象徴しているといえるのではないかと思うのだ。

 毎日新聞とサンケイ新聞(当時)に送られたこの一文は、捜査当局への挑戦状ともいえる。とくに、「けいさつの あほども え」という言い方そのものが警察になんらかの恨みもあると考えられるし、これをメディアが報道するという結果を考えれば、権力に対する挑戦といった発想があるのかもしれない。しかもこの第一回目にはまだ使われていないが、二回目の挑戦状(4月22日にやはり毎日新聞とサンケイ新聞に届く)も、「けいさつの あほども え」で始まる一文を送りつけていて、差しだし人は「かい人21面相」となっている。

 怪人20面相は、江戸川乱歩の探偵小説に登場する名だが、あきらかにこれをもじって21面相と名のっているとも考えられるのだ。

 かい人21面相は、5月10日にはグリコの製品に青酸ソーダをいれたと脅し、そのためにグリコでは全製品を店頭から引きあげるという処置もとっている。加えてこの間に、グリコ本社の試作室やグリコ栄養食品の車庫などがガソリンで放火されるという事態にもなった。このため警察庁では、グリコに関する一連の犯罪を称して、「広域重要114号事件」と名づけて、犯人逮捕に全力をあげることを国民に約束することになった。

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