新田:母と夫は食の好みも一緒でした。母は彼をすごく信頼していて、私の話よりも素直に聞くんです。だいぶ前になりますが、彼が入院した時は、私の代わりに「枕をもっていってあげたい」とお見舞いに行って、戻ってから家で泣いていました。かわいそう、かわいそうって。母も不安だったんでしょうね。

―そんな長山さんは、お母さまの旅立ちまで、恵利さんの介護に寄り添われました。

新田:私たち夫婦と兄、母は同じ一軒家に暮らしていました。1階に母と兄、2階が私たち夫婦です。母のために「顔出して」と言うと、夫はいつだって、「お母さん、どう?」とすぐに下りてくれました。それだけで母のテンションが上がったんです。

―長山さんは、2年前までテレビ局にお勤めでしたね。

長山:はい。いまは独立してフリーの水中VRカメラマンです。

新田:夫は会社員時代も、仕事がある日でも、母の通院に付き添ってくれて、私が話を聞いて欲しい時は、翌朝が仕事で早い日も、私が「明日でいい、大丈夫」と言っても、「いいよいいよ。今話を聞くよ」と夜遅くまで聞いてくれました。私が大変な時は一番近くで見ているからわかるんでしょうね。何よりも優先してくれました。私も甘えて、何でも話していました。私のストレスのはけ口が夫でした(笑)。

長山:我慢したり苦しんだりする姿を見たくなかったからです。結婚したばかりの頃の恵利はすごく我慢をしていて、夜中の就寝中に「ざっけんじゃねーよ」なんて、昼間のうっぷんが寝言で出てきていたこともありました(笑)。それがその後は、「あなた間違ってる! 聞くだけでいいの。黙って聞いてて」て言うようになりましたからね~。

新田:解決策とか求めていないから、ただ聞いてくれるだけでよかったの。

―長山さんはあえて何も言わずに聞いていたんですね。

長山:最初のうちは、どうしたらいいんだろうと、解決策ばかりを考えて聞いていましたが、だんだんそれよりも、「ちゃんと聞く」に集中する方がよっぽどいいと気づきました。

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おニャン子ファンも介護世代