東京の展示のために制作したネオン作品。「Floating」「Layered」「Visions」という新たなキーワードがある(c)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery
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 全国を巡回した蜷川実花の個展「蜷川実花展─虚構と現実の間に─」の、東京での展示が始まった。フェイクがあふれ、コロナ禍で不透明な時代に、「虚構と現実」は「過剰と静謐」「生と死」に重なり、境があいまいに溶け合う。蜷川実花の現在地を聞いた。AERA2021年10月18日号から。

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 東京での展覧会は、2018年から3年をかけて、全国巡回したものの集大成だ。

 東京では展示作品を大幅に入れ替え、映像作品を加えたり、書斎を再現したり。ここから巡回が始まるのか!?ぐらいの勢いで構成を練り直しました。かなり自腹を切っているので、採算はもちろん合わないのですが、でも、中途半端にやってもしょうがない。コロナの時代に、リアルな空間に観に来てくださる方がいる。新しいものを出そう、ベストを尽くそうと思ったら、アップデートが止まらなくなりました。

展覧会の入り口ロビーは「earthly flowers, heavenly colors」(2017)が壁一面に拡大されている(c)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

■重なりあい見える未来

「Layered(重なりあった)」という言葉を配したネオン作品を新たに出展していますが、それが自分で変わったことの象徴かもしれません。ものを作る時は「私の表現」が最初にあります。その芯は変わらずとも、外部と関係を結ぶ時に、柔軟性が出てきました。人や風景と自分が重なりあった時、互いに影響を受けながら「共に」前へ進む。「共に」で重なりあって見える未来があることを、ここで発見できたことは大きかった。なるほど、そうか、と。

TOKYOから。父、蜷川幸雄が逝くまでの1年半を撮った『うつくしい日々』(2017)の次に、日常の題材として東京を選んだ(c)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 それまでは、「共に」という意識は、私には特になかったんですね。作品作りはチームワークの賜物ですが、「共に」は耳当たりのいい言葉だけに、意識的に避けてきていた。でも、写真も映画も、誰かに観てもらいたい、誰かとつながりたい、という気持ちの表れ。今までの展覧会は強いイメージを打ち出してきたけれど、今回はその裏で繊細に揺らいでいるもの、誰かと共有できる感情を「共に」出していきたいと思いました。

 会場は、「Blooming Emotions」「Imaginary Garden」という極彩色の世界に、父、蜷川幸雄との最期の日々を淡々と撮った「うつくしい日々」や、「写ルンです」を使って撮影した半径1~2メートルの「TOKYO」など、緩急をつけた構成になっている。

TOKYOから。「写ルンです」を使用して、半径1~2メートルの東京を撮影。フィルムのニュアンスで都市を切り取る(c)mika ninagawa, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 各部屋には、テーマを読み解く文章も掲げました。以前は、受け取り方、観方を限定するようなことはしたくないと思って、ガイド文の類いは一切付けてこなかったんです。でも、こう観てもらえたらいいな、ということを、こちらから伝えてもいいなと思って。その方が親切ですよね。

 展覧会のタイトル「虚構と現実の間に」に込めた想いがある。

 一つに見えることでも、そこには相反するものが多様に重なりあっている。それはずっと私のテーマでした。たとえば「Imaginary Garden」は、お墓に手向けられた造花を撮ったシリーズです。造花は本物でないもの、美しくないものと見られがちですが、人の思いが重なった時に聖なるものに転化する。その二面性を突き詰めたい。

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