しかし残念ながら僕は転校生ではなく、何より三越ではありません。
結構な尺を使った挙げ句、先生はおそらく
「…ん?まて。よく見たら、三越と、少し、顔が違うか」
と気づいたのでしょう。何事もなかったかのように
「それでは、授業を始めます」
と、教科書を開いたのです。
「それでは」ではありません。「それでは」どころではありませんし、僕を含めた、教室のクラスメイト全員が、
「三越って誰だよ」
という至極当然の、かつ深く静かな疑問で授業どころではなかったと思います。
この、似た人がたくさんいる現象は大人になってもとどまることを知りません。
ネットで検索しますと、毎日のように、全国各地さまざまな場所に佐藤二朗が出没しているようです。
「ウチの大学教師、佐藤二朗に似てる」
「電気工事に来た人が、ほぼ佐藤二朗」
「満員電車に佐藤二朗」
「相撲の行司が佐藤二朗」
「健康診断の医者が佐藤二朗で話が全然頭に入ってこない」
集中しなさいよ。大事だから。健康診断。
「横浜スタジアムのバックネットに笑顔の佐藤二朗」
あ、ごめん、それ、俺。俺本人。
他にも、
「僕は、木村拓哉さんと佐藤二朗さんを足して、木村拓哉さんを引いた顔です」
それ俺じゃねえか。その算数の解、俺そのものじゃねえか。
「電車の向かいの席に、佐藤二朗と瓜ふたつの女性」
昔、「電車男」というドラマで僕の台詞に「高見盛に似た女」という名台詞かつ迷台詞がありましたが、「あなた、佐藤二朗に似てますね」と言われたら、すべての女性が憤慨し、それを言った人はまず無事では済まないと思うので、とにかくそのことだけが心配になります。
なぜに僕が見ず知らずの人の安否を気遣わねばならんのかはさておき、もはやここまでくると、「佐藤二朗5人説」みたいな話が出てきても不思議はありません。
ん?
いるのかな、俺、5人くらい。
いやいや、そんなはずはありません。そんなはずはありませんが、自分で自分を疑いにかかってしまうほど、あらゆるところに僕に似た人がいるようです。