東尾修
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 西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏が、引退した松坂大輔投手について語る。

【写真】引退試合後、観客の声援に応える松坂大輔投手

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 西武の松坂大輔が19日の日本ハム戦(メットライフドーム)で引退試合を行った。テレビでじっくりと見たよ。

 ブルペン投球を見て、ストライクも入らないかもなと思ったが、四球となった5球のうち1球ストライクが入った。腕を振ることもままならなくなったけど、投手の本能だけで取ったストライクだった。これまでしんどかっただろうが、最後が西武で背番号18のユニホームでよかったと思う。

 マウンドの後ろから捕手方向を一度見てから、マウンドに立った。思えば、1999年、4月7日の日本ハム戦でのデビューの前に、一つだけ大輔に声をかけた。「後ろからマウンドに立てば、ミットが大きく見えるぞ」。その言葉を守ってくれたかはわからないが、最後のマウンドでも、たった一人の相手でも、同じルーティンをこなしてくれたこと、それだけでうれしかった。

 99年の入団1年目、自主トレ最初のキャッチボールで関節の硬さが気になった。キャンプではひじを柔らかく使わせるためにカーブを投げさせた。コーチには「触るな」と指示した。まず、プロの打者と対して、彼が何を考えるかが重要だった。開幕前に指摘したのは3月のオープン戦中のブルペンの一度きりだ。私が口酸っぱく言ったのは「若くして完成したらつまらない」「捕手の構えたところが最終点じゃない。捕手のミットを突き破るつもりで投げろ」の2点だけ。大輔から聞いてきたことはあったかもしれないが、こちらが技術的に矯正したことはない。

 ドラフト指名後の入団交渉のとき、私の200勝の記念ボールを渡して「200勝させる」と言った約束は果たせなかった。私自身も申し訳なく思っている。だが、今でもそのボールを大切に持ち、彼の励みの一つにでもなってくれたのなら、ありがたい。大輔、そのまま持っておいてくれ、と伝えている。

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東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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