小室眞子さんと圭さんは10月26日、結婚会見を行った。なぜバッシングは起こり、世論も割れたのか。天皇制を研究する政治学者、原武史放送大教授が、この結婚と一連の騒動が示すもの、皇室の歴史とこれからについて読み解く。
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■自ら跪き国民に声をかけた
――原さんは、現在の皇室について、美智子妃が打ち立てた「平成流」ともいうべき在り方が現在の皇室の規範になっていると指摘する。
美智子妃は嫁いで早々にかなり新しいことをやりました。香淳皇后が改革しようとして挫折した子どもたちの完全同居を実現させたこともそうですが、皇太子とともに地方を訪れる際、福祉施設で自分から跪き、一人一人に声をかけたこともそうです。その姿に感化されるように、皇太子も同じ姿勢をとるようになった。「平成流」の原型は、すでに60年代にできていました。
昭和という時代は、天皇が権威を失った大正を否定してもう一度明治の「栄光」を取り戻そうとした時代であり。天皇がいわゆる人間宣言を行った戦後もなお、大元帥や現人神といった戦前の面影をまだ引きずっていました。皇后は宮中の改革を行おうとする場合はあっても目立たず、天皇の後ろにいて夫を支えるのが「昭和流」でした。
■昭和からの脱却でバッシング
一方、美智子妃は自ら率先して「昭和流」とは異なるスタイルをつくろうとしました。世が平成にかわって、それがあからさまに見えたのは、91年の雲仙普賢岳の大火砕流のときでした。地元の体育館で2人が跪いて、被災者一人一人に声をかけました。すると、「昭和流」こそが天皇制の完成形だと思っていた人々からバッシングが起こりました。彼らには天皇や皇后の振る舞いが、天皇の権威を否定しているように見えたのでしょう。
宮中では皇后のほうが大きな力を持っている、という93年の週刊文春や宝島30の報道や記事は、こうしたバッシングの延長線上に位置づけることができます。美智子妃は10月20日の誕生日の文書で「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」と反論しました。そして、その後、失声症になります。
眞子さんは26日の会見で、「事実に基づかない情報」と複数回言及しましたが、会見前日に上皇・上皇后に会っていますから、そういう体験を聞いたり、助言を受けたりしたことも考えられます。