プロデューサーの横澤彪さん(左)と逸見政孝さん(C)朝日新聞社
プロデューサーの横澤彪さん(左)と逸見政孝さん(C)朝日新聞社

 それでも、社内ではお茶くみもやったという。 

「もうずーっと。入社2年目の頃、新人女子アナが入社しなかった。入社3年目には、新人女子アナが入社したけど、朝のニュース番組担当で、午前中に帰っちゃった。結局、アナウンス室に残っている一番下っぱは私だったので、お茶くみしてました。湯飲み洗いもしていたので、手が荒れて皮膚炎になって、病院へ行ったこともあります」 

 お茶は誰にいれていたんですか? と伺った。

 「アナウンス部の上司だった露木茂さんはアメリカンコーヒー、逸見政孝さんは玄米茶と決まっていました。ニュースから戻って来ると入れてましたね」 

  逸見さんは「夕やけニャンニャン」(1985年~)に出演していた頃、女子高生らの話題にのぼり、40歳頃からブレイクした。 

「逸見さんはほんとにいい方でした。後輩をいじめることもなく、お互いをリスペクトしていたんだけど、『山村くん、玄米茶入れてくれる?』みたいな感じ。ファンレターが来ると、逸見さんは必ずといっていいくらいお返事を書いていました」 

 「ひょうきん族」では、ビートたけしが「タケちゃんまん」「コマネチ」、明石家さんまが「アホちゃいまんねん、パーでんねん」などのギャグで人気だった。85年に入ると、視聴率で劣勢となった「全員集合」が9月28日放送で終了。 

  ただ、その頃は、女子アナの扱い方は確立されていなかった。 

 「『ひょうきん族』に出演しながら、選挙特番などのニュースもかけもち。午前2時から3時くらいまで、ドラマの撮影をしていたこともあります」 

  時には、女子アナとして危険にさられることもあった。 

「当時はマネージャーのいないアイドル歌手みたいで、会社も守ってくれなかった。取材の電話が突然、アナウンス室にかかって来るんですよ。『取材したいから』と言われて行ってみたら、その記者はただ、私に会いたいだけだった。また別の時には、何という雑誌かは忘れちゃったけど、何も答えてないのに、発売された雑誌を見たら、私のパンツの色がナントカカントカと書かれてました」 

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