ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「皇室」について。
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「よくぞここまで漕ぎ着けられた」。まるで侍従か女官にでもなったかのような気持ちで、晴れてご結婚あそばされた眞子内親王(現・小室眞子さん)と夫君の御姿をテレビで拝見するとともに、御二人のどこか勝ち誇ったドヤ顔に、畏くも現代社会における皇室の「しんどさ」みたいなものに想いを馳せた次第です。結婚は勝ち負けではないのでしょうが、明らかに今回は眞子様たちの「勝ち」かと。
日本の皇室は、先の敗戦を機に定められた日本国憲法の下、それ以前の「国家元首(最高権力者)としての天皇制」とは大きく異なる「象徴天皇制(国際的には象徴君主制)」という定義の中に存在しています。
私は子供の頃から、漠然と「天皇陛下は日本でいちばん偉い人」と親に教わって育ちました。年齢を重ねるに連れ、「いったい天皇陛下はどう偉いのか?」という疑問を抱いたこともありますが、私自身が天皇陛下ならびに皇族方の存在を感じる中で、自然と培われた「尊敬の念」こそが、答えだと気付きました。
では、その「尊敬の念」の根拠とは何なのか。それは「天皇陛下および皇族方による、日本の国家・国民・自然・営みへの弛み無い祈り」に尽きます。
例えば、私たちには「正月に初詣に行く」「大漁・豊作の祈願をする」といった四季折々の「祈りの慣習」があります。それ以外にも商売繁盛・安産・合格・交通安全など、何かと言ったら神頼み。とは言え、今の時代の私たちが祈るのは、あくまで個人的な案件がほとんどです。昔から日本は、山の神や海の神といった自然信仰を大事にしてきた国であり、また全国各地に点在する神社にも、その土地に特化した神様やご利益がそれぞれ存在します。言うならば、多くの日本人にとって「神様」というのは、極めて曖昧で漠然とした「概念」なのです。そして、そんな曖昧でご都合主義な「日本人の祈り」を集約し、現代人がまかないきれない分もすべて担ってくださっているのが天皇陛下です。