[左]瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/作家、僧侶。1922年生まれ。東京女子大学卒業。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞受賞。73年、平泉・中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章<br [右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼)>
[左]瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/作家、僧侶。1922年生まれ。東京女子大学卒業。57年に『女子大生・曲愛玲』で新潮社同人雑誌賞受賞。73年、平泉・中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。97年に文化功労者、2006年に文化勲章受章
[右]瀬尾まなほ(せお・まなほ)/瀬戸内寂聴秘書。1988年生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に「寂庵」に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、瀬戸内寂聴の秘書として奮闘の日々が始まる。 (撮影/楠本 涼)
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 作家瀬戸内寂聴さんが11月11日、亡くなっていたことがわかった。99歳だった。朝日新聞デジタルが報じた。故人をしのび、最愛の秘書、瀬尾まなほさんとの対談を再掲する。※肩書や年齢等は当時。

【写真】これは貴重!剃髪前の若かりしころの瀬戸内さんの一枚

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 作家の瀬戸内寂聴さんを支える66歳年下の秘書、瀬尾まなほさんが『寂聴先生、ありがとう。』を6月に出版。8年間寄り添ってきた寂聴さんへの思いを3年かけて執筆した。対談では、まなほさんが出した手紙に寂聴さんが返事を書かなかった理由が初めて明かされた。

まなほ(以下、ま):今月8日に結婚式を挙げました。私がバージンロードを歩いてチャペルの前まで行ったとき、先生が大きな声で「きれいだよー!」と叫んでくれたのがすごくうれしかったです。

寂聴(以下、寂):車椅子にも乗らず、杖もつかず、ちゃんと出席できました。華やかで和やかな式で、まなほは格別きれいでした。

ま:2、3年前までは、この場に先生が来られることを二人とも想像できなかったので、夢がかなったという思いです。「次は赤ちゃんだね」と言ってくれました。

寂:新郎も優しそうないい男。まなほのほうが威張ってると思いますから、尻に敷くんじゃないでしょうか(笑)。

ま:今回の本では、前作が出てから自分に起きたことを書いています。講演もするようになったり、テレビに出るようになったり、本を出してからガラッと変わりました。それと結婚のこと。

寂:もう31歳でしょ? 赤ちゃんを産むには、若いときほど楽なの。

ま:彼と出会ったとき「これだ!」というのはなかったんですけど、適齢期っていうのと、赤ちゃんが欲しいっていうのはずっとあったので、ちょうどいいタイミングで結婚したいと思える人に出会えたから、それはよかったです。

寂:お世話してくださる人が随分いらして、お見合いも何度もしてるんですよ。とてもいいお話ばかり来たんだけど、結婚っていうのは条件じゃなくて「好き」という気持ちでしょ。昔と違うからね。私たちが若いころは、お見合いしたらその人と結婚しなきゃいけない。でも今は、自由恋愛だから。

ま:彼を選んだ理由としては……私は押しに弱いので、自分から行けないんですよ。押されてっていうのもあるし、フィーリングです。話してて楽しい人がいい、というのが一番にあって、今の彼にはあてはまりました。

寂:彼のことは、決まってから紹介された。見せないのよ、私がまた反対すると思って。

ま:彼と先生は仕事でも会ってたんですけど、全くそういうふうに思ってなくて。

寂:そう、お相手とは思わなかったの。寂庵にはいろんな人が出入りするからね。どれだかわからなかったの。

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