人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、瀬戸内寂聴さんについて。
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瀬戸内寂聴さんが亡くなった。享年九十九。五十一歳で出家する前と後と、起伏の大きな一生だった。分かれ目となる“その時”──実は、私は寂聴さんとこの上なく大きな関わりを持つ。
朝、テレビ朝日のモーニングショーに出演するためスタジオに到着した私を当時のプロデューサーの小田久栄門さんが待ち構えていた。別室に連れてゆかれ、寂聴さんが出家したことを告げられる。初めてマスコミに公表されるのは、寂聴さん自らしたためた手記。それを預かったのが小田久栄門プロデューサーで、モーニングショーの番組中で私にその手記を読めというのである。否も応もなしに、時間は迫る。
簡単に下読みをしてスタジオに人目を避けてこもる。誰かに気付かれてはならない。
当時、大島渚監督の「女の学校」という人生相談のコーナーがあり、視聴者の悩みに女性の作家や評論家が答える。そうそうたるメンバーだった。瀬戸内晴美、宮尾登美子、澤地久枝、俵萌子などなど。私は一番隅っこに小さくなっていた。NHKアナウンサーをやめ、テレビ朝日の出演者になって、あちこちに文章を書き始めていた頃だ。手記を読むにはふさわしいと白羽の矢が立ったのだろう。
小田さんはよくもあんなメンバーを集められたものだ。不思議な力があって、瀬戸内さんも信頼していたので、人生の節目の一大事を綴った手記を彼に任せたのだろう。それを小田さんは、私に読めという。緊張した。以前から瀬戸内さんと番組でご一緒することは多かったが、私が読むことも、まして手記の内容も決して口外してはならないと言い含められた。
一目見ればことの重大さはわかるので、ナマで読み終えるとすぐ私は車で帰された。その後の騒ぎは想像がつくが、私はごく最近までその話をしたことがなかった。瀬戸内さん自身が、私が読んだことをご存知だったかどうか。小田さんから聞いていても忘れていたかもしれない。