ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「泣くこと」について。
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幼少期の私は、どちらかというと「泣き虫」の部類に入る子供でした。自分で言うのも何ですが、若干変わった感受性の持ち主だったようで、泣く理由も「悲しい・悔しい・寂しい」ではなく、むしろ「怖い・せつない・申し訳ない」といった感情で涙腺が緩みがちだった記憶があります。ひどい時には、涙を通り越してゲロを吐くという、今考えると非常に厄介で自意識過剰な子供でした。しかし16歳になったぐらいから、ほとんど自発的に人前で泣くことはなくなりました。
♪私は泣いたことがない♪なんて曲がありますが、私の場合「飾りじゃなくても涙が出ない」と言った方が正しいかもしれません。泣きそうな場面や気分に接しても、涙がほとんど出ないのです。今年の春に父親が亡くなった時にも、一滴も出ませんでした。24時間テレビのVTRを観ていても、傍らで血の繋がった親族が号泣しているにもかかわらず、ウルッとすらなりません。心はちゃんと動いているのです。だけど涙だけが湧き上がってこない。
私の場合、「人前で」と「自発的」というのが大きなポイントなのかと。「ひとりで」で「もらい泣き」ならば、そこまで珍しいものではない気がします。事実、家でひとり「野際陽子さん演じる鬼姑が、最終回で嫁の山口智子さんに泣きながらやさしい言葉をかけるシーン」を観ている時など、自然とテレビの前でぼろぼろ涙していますし。
「男は無闇に人前で泣いたりするもんじゃない」という躾は、たとえオカマとして生きていようと、それなりに守るべきだと思うので、人前で涙が出ないこと自体、私にとってはさほど問題ではありません。ただ、テレビの仕事をするようになってからは、涙が出ない体質故に迷惑をかけたことが何度かありました。前述の「24時間テレビ」なんかは、その最たるものであり、VTRを観ながら「普段以上に涙を流す(嘘泣きとは違う)」のは、その場に呼ばれたタレントの役目です。いつからかVTR中はワイプで顔を抜かれなくなりました。それでも私が武道館に呼ばれるのは、最後の『負けないで』と『サライ』を一生懸命唄うからだろうと勝手に解釈しています。あ、もちろん縁故も。