
半世紀以上の親友・横尾忠則さんと瀬戸内寂聴さん。もう出しても返信が来ることはない、瀬戸内さんへの“最後のお手紙”です。
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セトウチさんが逝かれて二週間が過ぎた。セトウチさんの中では空前絶後の大異変が起こって、常に「死んだらどうなるんだろう」という答えのド真中に吸収されて、ヒェーって感じじゃないでしょうか。
9日の早朝、セトウチさんが重い肉体を病院のベッドに残して、宙空に離脱された5時間後には秘書のまなほさんからのメールでその死を知った。さぞ日本中は事件のように大騒ぎになるだろうと予想をした。秘密をかかえたまま、人にも話せず、苦しい2日間が過ぎた。やっと3日目にセトウチさんの訃報が公表され、隠蔽の苦痛から解放されたが、同時にメディアからの集中攻撃を受ける結果になってしまった。その大半は、この「週刊朝日」の「老親友のナイショ文」でセトウチさんの一番身近な人間としてターゲットになっていたのである。そんな中で僕は意外と、「ヘェー、週刊朝日ってこんなによく売れてんだ!」と不謹慎ながら妙に感心したものだ。身辺はメディアの総攻撃で掻き廻されているにもかかわらず、意外と僕は冷静で、セトウチさんの死そのものを冷静に受けとめている自分に少し驚きもした。「死んじゃったんだ。そーいうと50年という長い交友もこれで終止符を打つことになるなあ」と思いながら、彼岸というか、冥土というか、死後の世界というか、あちらというか、霊界が以前に比べて、うんと身近になったような気がして、生と死はそんなに離れていないんだ、というようなことに妙に感心していた。セトウチさんが亡くなって、淋しいとも、悲しいとも、そんな感情に襲われるようなことがいっさいないことに、僕は我ながら冷たい人間なのかな? とさえも思うほどだったが、僕だっていつ何が起こるかわからない年齢なので、生死の境界が薄れているのかも知れないとも思った。