2つ目の貢献は、皇室の人気や気品を保ったこと。
「雅子さまがご結婚した頃は、英国のダイアナ元妃が日本でもプリンセスとしてお茶の間で話題になっていました。雅子さまもプリンセスのイメージがあって、追っかけ主婦が登場するほどの人気となりました。雅子さまが車の窓を開けてお手ふりする姿が“絵”になるんですね。気品があり、海外のどこの国に出しても安心できる皇后だと思います」
体調がすぐれない時期もあったが、令和の時代になると国民の人気は復活。平成から令和へのお代替わりで行われたパレードでは、沿道につめかかけた多くの国民が「雅子さま~」と熱心に呼びかけた。雅子さまも感極まって、目がうるみ、そっと手を添える印象的なシーンもあった。
3つ目の貢献は「適応傷害」に苦しみながらも、女性皇族のトップとして公務をこなしていること。雅子さまは2004年6月、適応障害の診断を受け、長い療養生活に入った。天皇陛下は当時の記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言した。天皇陛下が雅子さまを温かく守っていることも垣間見えた。
「皇室に入って苦しんで病気になられた。美智子上皇后も一時期、声が出なくなったことがあった。皇居の中は古くて、息苦しい世界なのです。天皇家には姓がなく、名前しかない。これ一つ取っても 一定の縛りの中で生活しているということです。結婚した女性は男子を生むことを期待される。皇室典範によってふるまいなどさまざまな制約を受け、勝手なことができないようになっています。雅子さまは日本国民として生まれながら、一般国民とは全く違う生活を送らなければならないのです」
なぜ雅子さまが体調を崩したのか、だれかが雅子さまをイジメるようなことがあったのか、神田氏も取材でかけずり回った覚えがあるという。
「具体的な推測をする記者もいました。体調不良の原因となったことはわからずじまいです。だけど、女性皇族はかくあるべしというものは変えられずに依然として残っていますね。ティアラやローブ・デコルテの正装も明治天皇の時代でできあがったものなんですよ。皇室のしきたりは、時代に合うようにそろそろ見直してもいいのではないかと思います」