一般社団法人WITH ALS代表理事、武藤将胤。27歳のとき、ALSと診断された。仕事もプライベートも絶頂期のとき。一瞬も無駄にしないように生きようと決めた。テクノロジーと人の共創でコミュニケーションの仕組みを変えれば、ALS患者の失われゆく機能が補完できる。武藤将胤は、自分の身体をテクノロジーで拡張しながら、力強く自由に生きる。それが身体に制約を抱えた人の希望になっていく。
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自宅の居間で、武藤将胤(むとうまさたね)(35)の髪に妻の木綿子(ゆうこ)(37)がジェルをなじませると、スーッと直線を引くように念入りに髪を梳(と)いた。髪を団子にして留めたところで、彼女が鏡を差し出す。武藤が入念に仕上がりを確かめていると、ヘルパーが武藤の目の前に、ひらがなの配された文字盤を差し出した。目の動きに合わせて文字盤を動かして武藤が言いたいことを読み取り、代読する。
「す、こ、し、だ、け、ひ、ひだり」
木綿子は、「ああ、髪の流れを左にするのね」と髪を梳き直して、もう一度鏡に映す。武藤は満足げな表情を浮かべる。
「よかった。今日は、直し1回でOKが出た」
木綿子が笑った。
27歳のとき、武藤は難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経だけが変性して徐々に動かなくなっていく病気。多くが60代以上で発症し、20代で発症するのは稀(まれ)だ。2019年に人工呼吸器を装着するため、気管切開手術を受けた。さらに、昨年は食べ物と空気の通り道を「分離する手術」を受け、声を失った。
現在は自力で立ち上がるのは困難で、上背のある彼をベッドから車いすに移乗するのは、木綿子とヘルパーの2人がかり。けれども、顔の筋力は残っていて、表情は豊かだ。ゆっくりとうなずくこともできる。わずかに動く指先で車いすを駆使し、仕事の熱量もスタイルも、昔と変わらない。東京パラリンピックの開会式で登場したまばゆいばかりのデコトラの先頭で、原色づくしのピカピカ光る衣装を身に纏(まと)っていた人物を覚えている人も多いだろう。その人物こそ武藤だ。武藤は言う。
「目指すのは、コミュニケーションとテクノロジーで社会を明るく変革すること。挑戦こそ、最大のエンターテインメントだと思っているんです」