版権は「管理」するものではなく、それをテコにして新しく創造していくもの。それに気がついたのは、以前勤めていた出版社で、翻訳ものの出版の編集もやっていたからだ。そのコンテンツが強力なものであれば、グローバルにその作品を、本のみならず、映画、テレビシリーズ、ゲーム他さまざまな形で、売っていけるということを目の当たりにした。
この連載で、「版権」のことを何かできないか、と考えていたときに小学館集英社プロダクションの人からこんな話を聞いた。
「手塚プロダクションが面白いよ」
多くのマンガ家は、現役時代どんなに売れていても、作家が物故してしまえば、その作品の「版権」は管理するだけになる。
しかし、それを「管理」するだけに終わらず、新しい作品、商品を次々に生み出しているのが、「手塚プロダクション」だというのだ。
その手塚プロで、技術革新によって生み出される新しいメディアにしりごみをせず、コンテンツを出していく原動力になったのが、清水義裕だ。
清水は、1958年1月生まれ。東京都立大学の学生だった時代から、アルバイトで、手塚プロダクションのアニメ制作を手伝い、卒業と同時に手塚プロに入社、版権部に配属されたのが1981年。
その8年後には、手塚治虫は亡くなる。
手塚の死後、会社をどのように存続させるかは大問題だった。
亡くなってからしばらくは追悼の露出もあり、手塚のマンガは売れていた。しかし、作家は死ねばその作品はよほどのことがないかぎり忘れ去られていく。
手塚の作品は、たとえば「鉄腕アトム」が「アストロボーイ」という名前で米国で1960年代に早くも放映されていたこともあって、版権にからむ訴訟などさまざまな案件があり、清水は米国への出張の機会が多かった。
80年代に米国に出張したときは、日本ではバブルが始まろうとしていたとはいえ、まだまだ日本文化はいまほどに浸透しておらず、「日本人は生魚を食べるのか?」と気味悪そうに聞かれたりした。