いや、そもそも日本人は相容れない関係性を合わる「と」の力の感性が豊富だと私は思っています。だって、我々日本人は「カレーうどん」を創り、親しんでいる民族ではないじゃないですか。 

 カレーはインドから発祥し、植民地の関係でイギリスへと渡り、おそらく海軍の関係で日本に持ち込まれたと思います。一方、うどんは麺類なので発祥の地は中国大陸で、様々のルートで日本に入って来たのでしょう。まったく別の文化の異国の異分子を見た日本人は何をしたのか。同じ鍋に入れました。そしで、ここが大事なポイントだと思うのですが、御出汁もちょっと加えた。

 美味しいじゃないですか。私は単純な男なので感動しました。これは、素晴らしい「と」の力、新しいクリエイション、創造であると。

 一見、相容れない異分子を合わせて新しい価値をつくる「と」の力の感性をフルに活かせているから、B級グルメから超一流の高級料理まで、世界一美味しい料理が日本にあると私は思っています。

 ただ、日本人は食材に関して壁を立てることがないですが、生活や仕事の多くの分野で様々な壁が立ちはだかっています。つまり、せっかく日本人の特有である「と」の力の感性がフルに活かせていないのです。

 特に「失われた」時代で自信喪失した日本では意識が委縮して、壁の内側で留まることがよろしいという意識が広まった感じがします。だから平成は「バッシング」で始まり、終わる頃には日本が素通りされた「パッシング」になったのでしょう。

 では、これからどうする。令和時代に日本社会にどのような心構えや生きざまが必要なのでしょうか。渋沢栄一は、その答えを『論語と算盤』の「道理ある希望を持て」で、その解を示しています。

「『道理ある希望を持って活発に働く国民』という標語は、概括的な言葉であるが、先頃ある亜米利加人がわが同胞を評して、日本人の全体を観察すると、各人皆希望をもって活発に勉強する国民であると言われて、私は大いに悦びました。私もかく老衰してはおるが、向後益々国家の進運を希望としておる。また多数の人々の幸福を増すことを希望としておる。」

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道理ある希望とは?