「平成中村座」「コクーン歌舞伎」など、歌舞伎の演出でも活躍する串田和美さんが、50歳以上年下の演出家とタッグを組む。記憶が80分しか持たない、元数学者の「博士」の役だ。
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昔から、“記憶”に興味があった。
映画やドラマのように映像として後世まで残るものよりも、舞台のほうが好きなのは、人の記憶の中に曖昧に残るほうが本質的だと思ったからだ。
「それが舞台の宿命ですよね。そういえば昔、『上海バンスキング』を書いた斎藤憐さんと一緒に芝居をやろうってなったときに、斎藤さんの家の庭で、大道具を作ったことがある。そうしたら、近所に住んでいる彫刻家がフラッと庭に入ってきて、『君たちの仕事は、終わったら消えちゃうから羨ましいな。僕の仕事はね、残っちゃうんだよ。いったん手を離れたら取り戻すこともできないし、直すこともできない。自分が死んでも自分の作ったものが残っているということは、恐ろしいことでもある』。そう言って、笑いながら帰っていった。それを聞いて、確かに演劇っていうのは、残らない寂しさもあると同時に、『どうだ! ここにある全ては、公演が終わったら消えちゃうんだぞ!』って誇らしくもなった」
それ以来、仲間と一緒になって、さまざまな舞台を上演しながら、「誰かの記憶の片隅にでも残ればいいな。記憶は消えても、その断片がもしかしたら脳のどこかにとどまって、子や孫の代で思い出すようなことだってあるかもしれない」と夢想した。
「本格的に芝居を始めてからは、お客さんは、この舞台をどんなふうに記憶するんだろうとか、そんなことをしょっちゅう考えていましたね。だから、今から20年前に小川洋子さんの『博士の愛した数式』を読んだときは、80分しか記憶の持たない博士にすごく興味が湧いて、ふと『ああ、いつか博士を演じてみたいな』と思っていたんです」
あるとき、演出家の加藤拓也さんと雑談をしていると、話の流れで、「博士の愛した数式」を加藤さんが、まだ串田さんと出会う前、21歳という若さで舞台化していることを知った。串田さんはとても驚いた。