批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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ロシアは9月30日にウクライナ4州の併合を一方的に宣言した。他方でウクライナも反撃を強め、東部に続き南部でも領土奪還を着実に進めている。ロシアによる核使用が現実味を帯び、10月6日にはバイデン米大統領が世界最終戦争の可能性に触れるなど一気に緊張が高まった。
いったいこの戦争はいつ終わるのか。朝日新聞デジタルが18日に掲載した古谷修一・早稲田大学教授のインタビューがヒントを与えてくれる。
古谷教授によればいまは戦争のあり方が大きく変わりつつある。かつて戦争はあくまでも国家間の出来事だった。ところが今次戦争では個人の悲劇が前面に出ている。たとえ戦争であっても虐殺や民間人への暴力は許されない。背景には人権意識の高まりやSNSによる情報共有がある。プーチンはこの変化を見誤り世界的な非難を浴びることになった。
これ自体は歓迎すべき流れだが、他方で問題もある。かつて戦争は政治の延長だった。だから首脳間の妥協で終わらせることができた。けれどもいまは人権が問題になっているので妥協できない。プーチンとの交渉は犯罪への加担とみなされる。古谷教授はこの事態を正義と平和の相克と名づけている。みなが正義を追求する世界では、平和はなかなか訪れないのである。
この指摘は現代世界が陥っているジレンマを鋭く抉(えぐ)り出している。だれもが戦争の終わりを願っている。けれども和解の提案は正義に反するのでだれにもできない。
最近でも3日にイーロン・マスクが独自の「和平案」をツイッターに投稿し、ロシアへの妥協を示唆するものとして世界中の非難を浴びた。マスクの企業はウクライナに支援を続けている。それでも世論はそんな発言を絶対に許さない。
このジレンマから脱出するためには、正義と平和を同時に実現するしかないだろう。具体的にはウクライナが全面的に勝利し、プーチンを国際法廷に引き摺(ず)り出すしかないはずだ。そんなことが可能なのか。可能だとしてどれほどの時間と犠牲が必要なのか。その過程でせめて核戦争にだけはならないことを祈りたい。
◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2022年10月31日号