作家・室井佑月さんは、女性支援団体をめぐる問題を発端に、被害を受けている女性たちを救うために必要なことは何かを考える。
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去年の年末からネットでもっとも注目を集めたのは、「女性支援団体Colaboを『誹謗(ひぼう)中傷』投稿繰り返した男性を提訴」(11月29日、朝日新聞デジタルより)という話題だ。メディアはこの問題を、「声を上げる女性への差別」のように一方的に報じた。それを野党議員がそのまま国会で取り上げたりもした。
たしかに、支援団体を攻撃する者の中には、女性への薄暗い誹謗中傷を楽しんでいる者も複数いる。声をあげる女性たちが不当な攻撃に晒(さら)されるなんて、あってはならないことだ。が、この問題はそれだけの話なのか?
新聞に「『誹謗中傷』投稿繰り返した男性」と書かれた彼は、東京都へColaboに関する文書の開示請求をした。公開された文書の一部は、素人のあたしの目から見てもかなりずさんに思えた。
しかも、この話題を追っていると、女性支援のための様々な国の審議会の有識者たちが、公金が投入される支援団体の人間だったりする。これはリベラル側が憤慨していた竹中平蔵氏問題と一緒。ルールから自分たちを有利にしていくという。
そして、文書は黒塗りばかり。もちろん、守られるべき女性たちの個人情報が晒されることがあってはならない。しかし、それだけとはいい切れないほどの黒塗りだ。
こういうことをいうと、「被害を受けている女性はどうでもいいのか」といわれる。「行政ができないから、それを支援団体が助けているのに」と。
そう、もっとも肝心なのは、被害を受ける女性を無くすことだろう。
だとしたら、年々増える男女共同参画費用は、多くの女性たちがきちんと救われるものとして有効に使ってもらいたい。
それには、こんなに活動内容が不透明でいいのか。限られた有識者たちで、秘密裏の取り決めをしていていいのだろうか。