運命に従うためには、それ相当の勇気が必要であると思う。運命によってあらかじめ自分の人生が決定しているなら、じゃ、それがどんな人生なんだ、じっくり、見てやろうじゃないか、というくらいの覚悟と勇気があるなら、一層試してみては如何なものであろうか。

 お釈迦様だったか忘れたが、人の人生は前世から定まっているという。だったら、あくせくしないで、全身全霊おまかせした方が、面白いかも知れない。それが宇宙の法則なら、自分の肉体と精神を実験台にして、人物という存在を少し俯瞰(ふかん)して高みの見物をしては如何であろうか。何が何でも自分の意志通りに行動しなければ人間の自由はどこにあるのだという人は、徹底的に運命に逆らって生きていくのもいいだろう。むしろこのような生き方を希望する人の方が現代的なのかも知れない。

 でも、僕みたいにメンドー臭いことはしたくないという性格の人間には、徹底した自由意志を通す自信はない。僕はどちらかというと運命論者的な生き方に近いのかも知れない。それは思想や哲学ではなく、ただメンドー臭いことはしたくないという、子供の頃からの甘ったれた性格によって、運命論者的になってしまったのかも知れない。ある意味では怠け者の生き方に近いかも知れない。もともと僕は自分の意志で、横尾家の養子になったわけではない。僕のあずかり知らぬところで、僕の運命のギアチェンジが行われたわけだから、考えてみれば、人のいいなりによって運命路線が定められたわけである。生まれた時からすでに運命のいいなりになってしまったわけだから、後に出合う様々な事象だって、半ば他者の意志によって左右されてきたわけだ。

 もし、横尾家の養子になっていなければ、どんなもうひとつの人生が待ち受けていたかはわからないが、なるようになった結果が現在だと思うしかない。僕の場合は二通りの生き方があったはずだが、その生き方の一方を僕の意志によって選択したわけではない。これはお釈迦様だかにいわせれば「前生からの宿命ですよ」ということになるのかも知れない。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年10月14・21日合併号

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