桜井:けっして無理にではなく、日々(高見沢が)聴かせるんですよ。だんだん知らないうちに踊らされている自分がいて。完全にハマったなと思った頃にはヘビーメタルのような歌を歌わされて(笑)。衣装まで、そっち(ハードロック系)になって。「メリーアン」から「星空のディスタンス」、次の「STARSHIP‐光を求めて‐」あたりまで。全部、高見沢の影響なんですけど。
高見沢:ジューダス・プリーストとか?(笑)
桜井:音楽番組であんな格好をしたのは俺だけですよね。テレビに出てもいろいろ言われましたから。やっと認めてもらえたのは(ヘビーメタルバンドの)「聖飢魔II」が出てきてからですよ。それまでは寂しかったですね。
――「メリーアン」発売の1年前。1982年のアルフィーは、北海道から福岡まで大規模な全国ツアーを開催。3月30日から4月1日までの3日間は久保講堂(東京)でライブをおこなった。それぞれが好きなことを披露するコーナーが設けられ、初日は高見沢dayだった。
坂崎 「レッド・ツェッペリン」をやりましたね。
高見沢 「天国への階段」「Rockn’ Roll」「Black Dog」「移民の歌」とか。
坂崎 その日のお客さんは若干引いていた(笑)。
高見沢 初めて聴いた音だっただろうからなぁ。
――ハードなサウンドがアルフィーの音楽の一部であることをファンには提示していた。
坂崎 だから、僕らにとってハードロックに移行することに対しては、そんなにみなさんが思うほどでは……。
高見沢 方向転換ってほどではないですね。
――アルフィーはこの年の8月、初の野外イベントとなる所沢航空記念公園でライブをおこない5千人の観客を集めた。着実に動員を増やしていたアルフィーの人気は右肩上がりで、あとはシングルヒットが出れば大ブレイク間違いなしという状態だった。勢いは加速する。この年、アルフィーは初の日本武道館公演を行うことを発表した。
坂崎 バンドのサウンドが少しずつハードになってバンド自体のスケールも大きくなってきて、いよいよ日本武道館公演と。83年3月にシングル「暁のパラダイス・ロード」を出して、大ヒットさせて8月に武道館、という予定だったんだけど。大ヒットしなかった(笑)
高見沢 予定通りにはいかないよね。ライブでの勢いはありました。なぜ、観客が熱狂するのかはわからなかったけど。