ヒマラヤ山脈の斜面に位置するブータンは農地が狭く、高地の厳しい気候は農業に不向き。そこで西岡は日本から持参したキュウリやキャベツ、長ネギなどの栽培に成功。それまでの不安定な焼き畑農業から水田耕作に転換させ、自給自足もままならなかった農業を主要産業に発展させた。この功績で爵位を贈られ、92年に現地で亡くなった西岡の「国葬」には数千人が参列したという。
著述家で偉人研究家の真山知幸氏は言う。
「日本の文化や技術に精通し、それを現地に根付かせることは容易ではありません。近藤恒子や西岡京治はそれを個人で成し遂げたのですから素晴らしい功績です。日本では天才肌の偉人や、開戦の潮流にあらがった安達峰一郎のような『出る杭』はあまり評価されない傾向にあります。国内で有名でなくても海外で評価される日本人には、揺るぎない信念があった点で共通しています」
この機会に異国で尊敬された日本人を顧みるのもいいだろう。(本誌・佐賀旭)
※週刊朝日 2022年10月7日号