伊藤:良い意味での「スマート」は望むところですが、「上流」や「お金持ち」となると違います。慶應は開学当初から、「ミドルクラス(中流階級)の大学」として自分たちを位置づけてきたんです。身分制度が廃止され、誰もが学問をすれば社会の発展に貢献して結果として地位や財がついてくる。学問を学ぶ中流階級の層を分厚くし、民主主義の基盤を固めていこうという発想が根底にありました。
この話を授業で学生にすると「でも学費高いじゃないですか」なんて反応が返ってきたりするんですね。でも、私立学校の運営には一定の学費がかかります。国立大学の学費が安いからそう見えるのであって、お金持ちでないと慶應に行けないということはありません。
『学問のすすめ』には「人から好かれるような顔色や容貌にして友達を作る」という一節があります。当時の肖像画を見ると、福澤先生自身、おしゃれな着流しといった普段着で腕を組んでいることが多く、肩肘張ったスーツ姿は意外と少ない。清潔ではあるけれど、えらぶらないということを重視した「スマート」を理想としています。
田中:早稲田の特長は、「誰にでも居場所がある」ということです。創設当初から学校運営の中核を担い、早稲田大学と改称した後で初代学長に就任した高田早苗という人物がいます。彼は、上京や進学がかなわない人々のために『早稲田大学講義録』のシリーズを出版して全国に配布しました。それを読んで学問を志す若者が地方から大勢出てきたと言われています。その意味で、早稲田のほうが庶民的という面はあると思います。
ただ、最近は学生の見た目の違いはなくなっています。私は1998年に早稲田大学に教授として着任しましたが、その頃はもう、慶應の学生と早稲田の学生で見た目の区別がつかないと言われていた。まあ、慶應の先生が早稲田に来ると「やっぱり慶應の学生のほうがおしゃれだな」と言っていますので、どちらかといえば早稲田のほうが地味ではあるのかもしれませんが(笑)。