イラスト/ウノ・カマキリ
イラスト/ウノ・カマキリ

 共産党は太平洋戦争の最後まで「戦争反対」を主張し続けたために、幹部たちは刑務所に拘禁されていて、米軍が進駐してきてやっと解放された。だから、共産党は占領軍のことを解放軍と呼んでいた。共産党幹部たちと占領軍とは信頼し合う良い関係であったが、朝鮮戦争が始まると、占領軍の姿勢は一変して、レッドパージによって共産党は非合法的な存在となり、共産党の支持者たちは公職を追放されることになった。

 こうした2度の体験から、私は教員などのエライ人々やマスメディアに不信感を持たざるを得なくなり、伝聞・推定ではなく、一次情報を直接確かめて、間違っていることは間違いだ、とはっきり言えるような仕事をやりたいと強く思うようになった。それがジャーナリストという仕事だった。

 大学卒業後、朝日新聞やNHK、TBS、北海道放送などを受験したが、ことごとく落ちた。岩波映画を経て、東京12チャンネル(現テレビ東京)に入った。当時は三流局で、視聴者に見てもらうには他局にはできない危ない番組を作るしかなかった。42歳のときにフリーとなってからはそれまで以上に体を張って勝負してきた。88歳の現在も仕事を続けられているのは、終戦後の強烈な体験があったからこそかもしれない。

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。ジャーナリスト。東京12チャンネルを経て77年にフリーに。司会を務める「朝まで生テレビ!」は放送30年を超えた。『トランプ大統領で「戦後」は終わる』(角川新書)など著書多数

週刊朝日  2022年9月2日号

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