ジャーナリストの田原総一朗氏は、自身の“戦争”について書く。
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あっという間の戦後77年である。終戦は私の人生の転機であり、強烈に思い出に残っている。
昭和天皇の玉音放送を聞いたのは、私が小学校5年生の夏休みのときであった。
5年生になると軍事教練が始まり、1学期は参加した。本格的な社会科の授業も始まり、先生たちからは「この戦争(大東亜戦争)は世界の侵略国である米英両国を打ち破り、米英などの植民地にされているアジアの国々を独立させ、解放させるための正義の戦争であり、君らも早く大人になって戦争に参加し、天皇陛下のために名誉の戦死をせよ」と強く激励された。
私たちはそれを信じ切って、天皇陛下のために名誉の戦死をすることが人生の目的である、と考えていた。だが、8月15日に終戦となり、2学期に米軍が進駐してくると、先生たちの話も新聞やラジオの報じ方も百八十度変わった。
あの戦争は絶対にやってはならない間違った戦争であり、正しいのは米英のほうだということになったのである。
1学期には国民の英雄として褒めたたえられていた人物たちが、2学期になって次々に逮捕されると、新聞もラジオも躊躇(ちゅうちょ)なく、逮捕されて当然だと批判し始めた。
この経験が、私がどう物事を判断するかを考える原点となった。
先生たちなどエライ人々の言うことは信用できない。そして新聞やラジオなどマスメディアの報道もいま一つ信用できない。
そして実は、私はこうした体験を2度味わっている。
小学6年生から中学3年間の時代に、先生たちは「戦争は悪だ。君らは日本が平和な国としてあり続けるように頑張るべきだ」と強調していた。ところが、高校1年生のときに朝鮮戦争が始まり、日本に駐留していた米軍が朝鮮半島に出撃した。
そこで私が「戦争反対」と言うと、先生たちに怒られ、「お前はいつから共産主義になったのか」と難詰された。