下重暁子・作家
下重暁子・作家
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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「泥縄以下のコロナ対策」について。

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 東北の三大祭りの一つ、青森のねぶたが今年は何とか幕をあけた。私も三十年ほど前にハネトになって、満員の観客の中をラッセラー! ラッセラー!とはねて歩いた。

 宿の女将が衣裳の全てを用意してくれ、着付けもやってくれた。派手な衣裳に鈴の音など、ちょっと気恥ずかしかったがハネトの渦の中に入ってしまうと、踊りの流れに押されて気がつけば遠くまで運ばれていた。

 今年は許された人数だけで、まるで私の経験とは別物。着付け師も手持ち無沙汰。それでも祭りができただけよかった。

 原因はコロナの爆発的拡大である。週あたりの感染者数では全世界で日本が一位になったとか。私は高齢者だから、ワクチンも四回目をすませたが、まわりには知人、友人ら「私も、俺もかかった」という人ばかり。どうしても欠かせない会合があり、挨拶して話をした社長からは翌日発熱の知らせがあった。

 今回は社会の動きを止めないことが優先され、政府や自治体からの行動制限がないから、何を目安にすればいいのかわからないという人が多い。そしてあれよあれよという間に、倍々ゲームで数字だけ伸びていく。

 第六波まで日本の感染者が少なかったのはマスク、手洗い、換気など、日本人特有の几帳面さでお上のいうことを守っていたからだとすると、行動制限のない今回、人々の戸惑いは大きい。

 あまり重症化しないから個人の判断に従ってといわれても、日本人が一番苦手なのは、個人の判断である。

 日頃から欧米のように個が基準になる価値判断をしてこずに、爆発的な感染になって、もう打つ手がないから、個人の判断とは無責任すぎないだろうか。

 そもそも社会を平常に近く動かすために、今回は行動制限をしなかったはずで、ウィズコロナという言葉まで一般化したが、その結果、発熱外来には人が押し寄せパンク状態。クリニックや病院に病床はあっても、肝心の看護師ら医療従事者が感染して病人を受け入れられない。

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