林:お父さまは映画のほうに進まれたんですよね。
獅童:うちのおやじは銀行員やってたんですけど、叔父の(萬屋)錦之介が東映に行ったときに、兄弟愛が強いのか、「じゃ、俺も東映に行って、錦之介のプロデュースをする」と言って。
林:超名門のおうちなのにね。勘三郎さんが亡くなったときに、ご兄弟が「親がいないのは首がないのと同じ」って誰かに言われたそうですけど、親がいないって、歌舞伎の世界ではそれだけ大変なことなんですね。獅童さん、子役をなさっていたときはあったんですか。
獅童:子役は僕、7歳です。
林:そのときは皆さん温かかったんですか。
獅童:子役のときは温かかったですよ。子どもなので。
林:だけど、20歳になって歌舞伎の世界に戻ってきたときは、皆さんが皆さん温かいわけでもなかったですか。
獅童:中学高校というのは大人でも子どもでもなく、声変わりもして、役もあんまりないので、久しぶりに帰ってきたときには誰にも覚えられていないというか、「誰だったっけ?」みたいな感じでしたね。
林:親切にしてくださったのは勘三郎さんですか。
獅童:「若き日の信長」という芝居で、群衆の役で出てたときに、勘三郎のおにいさん、当時はまだ勘九郎でしたけど、稽古場で「ちょっと君」って呼ばれて、「とってもいいよ、君! その気持ちでやりなさい」って突然言われたんです。それがものすごくうれしかったんですよ。群衆の役で手を抜いてたら一生ここからのぼっていけないという気持ちで一生懸命やっていたので。
林:そんなことがあったとは知りませんでした。
獅童:そこからですよ。「君、来月はどうしてるんだ?」「その次はどうしてるんだ?」「コクーン歌舞伎においでよ」「中村座においでよ」って誘ってもらえるようになったのは。
(構成/本誌・直木詩帆 編集協力/一木俊雄)
中村獅童(なかむら・しどう)/1972年、東京都生まれ。81年に歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』で初舞台、二代目中村獅童を襲名。2003年、前年に公開された映画「ピンポン」で日本アカデミー賞新人俳優賞。以降、映画、ドラマ、現代劇と幅広く活躍。22年は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出演予定があるほか、「壽 初春大歌舞伎」(1月2~27日、東京・歌舞伎座)で、『一條大蔵譚』の吉岡鬼次郎を演じる。また、この公演で長男の小川陽喜が『祝春元禄花見踊』にて初お目見得。
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※週刊朝日 2022年1月7・14日合併号より抜粋