
■広大な大地に染み込んだ市井の人々の行動様式
彼らは、日本や欧米との比較ではなく、「過去」との比較で現在の中国を見ている。
もちろん中国にも、世界レベルで活動するトップエリートや知識人たちが多く存在する。彼らは、
「セクハラ容疑があれば、きちんと調べるべきだ」
「教育の不公平是正は必要だが、塾禁止はお門違いだ」
と考えるし、21年という年を「奇想天外な一年」と表現する人もいる。
中国のビジネス誌「第一財経」は、英語に批判的ニュアンスを託して、
「この一年は政府の『見える手』によりとてもHard(ハード)だった」
と21年を総括し、1年の間に起きた「取り締まり」の一覧表を掲載した。同誌に掲載されたインタビューで、北京航空航天大学のジャイ志勇副教授は、
「人の基本的権利を尊重し」「我々が獲得してきた法治の成果を退化させてはならない」
と警鐘を鳴らしている。人口学者のエマニュエル・トッドは、過去と比べる人と今の世界と比べる人の存在を踏まえて、「中国は二つに引き裂かれている」と指摘している。
北京で話を聞いた市井の人々は、一言で言えば学習塾規制やエンタメ規制のようなことに「慣れている」。こんな「暗黙の了解」があるからだ。
お上とは距離を置く。関心も期待も持たず、怒らせないのが基本。天災・人災を問わず、自分の身に困難が降りかかってきたら、原因より解決策を考える(じっと嵐が去るのを待つか、瞬時に切り替える)。抽象的な是非論やプロセスより現実的な戦略論や結果を重んじ、自分の現実生活に集中する。大多数や全体の結果を優先し、そのためであれば、少数の犠牲者を(乱暴に!)切り捨てることもいとわない──。
広大な大地に染み込んだこんな行動様式が、中国にはあるように思う。
14年前の08年夏に開催された北京五輪で、「(世界に)門戸を大きく開放して~」と明るく熱く世界的視野に立つ理想を謳ったのは真夏の夜の夢だったのだろうか。北京の門はコロナ対策で固く閉ざされたまま、不気味なほどの静けさのなかで、2度目の五輪を迎えようとしている。(ライター・北野ずん(北京))
※AERA 2022年1月24日号より抜粋