個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、とある生放送番組の出演について。
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いやはや。
諫早。
前も書いたかな、これ。
まあ、よい。
まさに、いやはや、諫早、なのです。
実は先日、某局の某番組で某の声をやりまして。
某だらけで分かりにくいですかね。
日○テレ○の「ス○キ○」で「○の声」をやりまして。
まだ分かりにくいかな。
日本テレビの「スッキリ」で「天の声」をやりまして。
完全に某や伏せ字のストロークが無駄になったところで。
そうです。正確には「天の声ゴールド」。さらに正確を期すと、僕ではなく、僕の家来の「仏」が務めました。
いや~僕(佐藤二朗)も観ましたよ、生放送。調子に乗ってましたな、仏。番組内で仏の野郎、何度も言ってました。
「僕(仏)のしもべ、あるいは手下の佐藤二朗くん」って。
とんでもない。
彼(仏)のしもべ、あるいは手下が僕(佐藤二朗)ではなくて、僕(佐藤二朗)のしもべ、あるいは手下が彼(仏)なのです。彼(仏)のしもべ、あるいは手下が僕(佐藤二朗)なんて言うのは、彼(仏)のとんでもない思い上がりで、師匠である僕(佐藤二朗)への敬意が、彼(仏)には著しく欠如していると言わざるを得ません。
すみません、酔ってきました。
私、ちょっとでも複雑なことを考えますとオシッコがしたくなる癖がございますので、これ以上尿意を催さないためにも、どっちがどっちのしもべだの手下だの家来だの、そんな非生産的な話はもう書きませんが、
要するに僕(佐藤二朗)の師匠が彼(仏)では断じてなく、彼(仏)の師匠が僕(佐藤二朗)なのであり、そういう意味からも彼(仏)のしもべ、あるいは手下、あるいは家来が僕(佐藤二朗)ではなくて、僕(佐藤二朗)のしもべ、あるいは手下、あるいは家来が彼(仏)なのです。
ごめんなさい、少しチビりました。