右は被爆者の笠岡貞江さん(89)。笠岡さんの体験を絵にした広島市立基町高校3年の田邊萌奈美さん(左)は、昨年も笠岡さんの体験を描いている(photo 写真映像部・東川哲也)
右は被爆者の笠岡貞江さん(89)。笠岡さんの体験を絵にした広島市立基町高校3年の田邊萌奈美さん(左)は、昨年も笠岡さんの体験を描いている(photo 写真映像部・東川哲也)

■絵にすると一目瞭然

 被爆者と生徒は、毎年10月頃に顔合わせを行う。どんな絵にするかは被爆者が希望する。それに沿って描いてもらいたい場面、状況などを確認。その後何度も会って、構図や色、トーンなどを細かく見直し、約8カ月かけて描き上げる。福本さんは完成までに切明さんと5回会っている。切明さんがこの取り組みに参加したのは2度目。

「被爆地として大きなプロジェクトだと思います。被爆体験を口で話しても、戦争を知らない人にはわかってもらいにくい。絵にすると一目瞭然ですからね」

 被爆体験証言者の一人、笠岡貞江さん(89)は12歳の時、爆心から3.5キロの江波町の自宅で被爆。両親を原爆で亡くした。絵を描いてもらうのは今回で11回目。最初の頃の絵は、被爆直後のひどいやけどを負った被爆者や、川に浮き沈みする死体、黒こげになった身体にうじが湧いている姿など、生々しく、悲惨な絵が多い。しかし最近は、ケガをした自分を祖母が治療しているシーンや、母の死を知らずに帰宅した弟が言葉を失い呆然としている場面など、少し時間が経過した時の場面が増えた。被爆直後のことだけでなく、時系列的に希望する絵を変えているのだという。

 今回描いてもらったのは、被爆後、友人たちと5人で、春に入学したばかりの進徳高等女学校に向かう途中の出来事だ。渡し船で川を渡り、川べりの道に出た時、進駐軍の兵士2人とばったり出くわした。青空も見えるような日中だった。

「初めて見る外国人の兵士で、背も高くて、もうびっくりして、後ずさりして、皆で体を寄せあってね。その時の怖さを描いてもらいたかったんです」

 制作したのは3年生の田邊萌奈美さん。

「天気がいい中で、不気味な感じ、すくんでいる様子を描こうとしてもなかなかうまく伝わらなくて苦労しました」

 友人数人にポーズを取ってもらい、体を寄せあい、背中に回した手やしぐさで「表情」を感じさせるように描いたという。田邊さんは昨年も笠岡さんの絵を描いている。「兄妹で父親を火葬」というタイトルだ。笠岡さんから、火葬の際、「疲れや非現実感から涙などは出ず、無表情だったと言われたことがとても印象に残っています」とコメントしている。

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