避難所となった東京武道館を訪れた両陛下を出迎える当時の石原都知事
避難所となった東京武道館を訪れた両陛下を出迎える当時の石原都知事

 それに対して、石原氏はどうであったのか。

 記者はこの件について、08年に宮内庁と都庁に取材をしたことがある。 結論から言うと、都知事在任中に35回を超える招待を受けて出席したのは、都知事に就任した99年に2回のみだ。その後はすべて欠席だった。

 当時、『週刊朝日』(08年8月8日号)に掲載した記事を以下に引用する。

<99年に石原都知事が就任してから(08年までの)の9年間、国賓の晩餐会は16回あったが、宮内庁の担当者はこう答えた。

「石原都知事へは今もずっと、毎回招待状をお送りしています。ただ、出席は99年のヨルダン国王の晩餐会1回のみで、それからは欠席されています」

 都庁にも同じ質問をしたところ、ここ4年間に招待された5回の晩餐会と7回の園遊会、さらに07年に招待を受けた天皇誕生日の祝宴は「すべて欠席」との回答だった。

 就任年から03年までの5年間については、

 「資料はすべて破棄されており、出欠が確認できない」

 としてデータを出さなかった。

 本誌の取材で石原都知事の出席が確認できたのは、先の99年の国賓晩餐会と、同年春の園遊会の2回のみ。都庁知事本局は、

 「こちらに資料が残っていませんので、それ以外はすべて欠席と理解していただいてよいと思います」>

 五輪招致に皇室を担ぎ出すことについては、都議会をはじめ右翼からの反対も強く、皇太子ご夫妻のIOC出席は実現しなかった。2009年10月。16年夏季五輪開催地を選ぶIOC委員の投票で、東京は落選した。

 ちなみに、都知事在任中に2回宮中行事に出席した石原氏。前出の岩井氏によると、石原都知事は就任直後に宮殿行事に出席してみて、男性は燕尾服、女性皇族はローブデコルテ、女性参加者もロングドレスといった正装のドレス・コードを「まるで鹿鳴館だね」と酷評し、それ以来出てこなくなったという。

「石原氏は、平成の天皇皇后には一貫して批判的な姿勢を見せました。2回、宮中行事に出たのちは、ことごとく欠席。平成の時代、皇太子ご夫妻(当時)の都の施設への行啓の際は、案内役を務めましたが、両陛下の行幸啓では姿を見せず、副知事に代行させる徹底ぶりでした」(岩井氏)

 その石原都知事が、平成の天皇と久方ぶりに接したのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災の直後だった。

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上皇さまを「男だねえ」と石原慎太郎氏