延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
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 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。前回に引き続き、7月に行われた「村上春樹 presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ」について。

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 そもそもの発端は昨年9月の村上ライブラリー開館記者会見だった。

「いつかあんなライブができたらいいですね」と村上春樹さんは1969年の伝説のライブに触れた。山下洋輔さんの事務所から僕に連絡があったのは翌日。「やりましょう。山下も乗り気です」

 語り草のライブとは大隈講堂から勝手にピアノを担ぎ出し、構内でフリージャズを演奏、セクトを超えて聴き入った乱入公演のこと。当時早稲田の学生だった春樹さんは「山下さんの音楽をひとつの糧として、推進力として、ぼくら自身の新しい地平を共に明るく拓(ひら)いていこうではありませんか」とプレスリリースにコメントを寄せた。

 大隈講堂の日程は押さえたが、不安だったのはコロナ。早大のレギュレーションで25%の入場制限が続き、その収支ではチケットが高額になる。学生は安く。ここは譲れない。100%入場が可能になったのは開演1カ月を切った頃だった。

「再乱入ライブ」と春樹さんがタイトルをつけ、「いま、伝説のライブがよみがえる! 2022年を生きるすべての人たちへ」とのキャッチコピーに予約が殺到した。

 本誌では69年時の仕掛け人田原総一朗さんが「革マル支配の大隈講堂から黒ヘルのノンセクトラジカルがピアノを運びだし、民青が立てこもる4号館で演奏。こんな危険なことはなかった」と回想した。考えてみると、今年は連合赤軍あさま山荘事件から50年、沖縄本土復帰50年、元日本赤軍最高幹部重信房子が出所と、「あの時代」の匂いがそこかしこで漂った。

 この雰囲気を現役学生にもと、「再乱入ライブ前夜祭~解き明かされるシクスティーズ~」と銘打った特番で春樹さん自らが60年代を語った。

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