横尾忠則
横尾忠則
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 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、池江璃花子選手のバタフライについて。

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 この間水泳の池江璃花子選手が自由形の競泳予選で、何んとバタフライで泳いで、他のクロールの選手達を抑えて1位でゴールした。何んとも不思議な光景だった。クロールで泳ぐ選手達の中でひとりバタフライで泳いでいる。こんな競技は一度も見たことがなかったので、僕は虚をつかれて、アレアレと思いながら、「ルール違反で反則になるんじゃないか」と思ったが、クレームをつける人はいなかった。

 クロールは一番スピードが出せることになっていて、泳法を問わない自由形はクロールで泳ぐのが当り前なのに、池江選手はあえてバタフライで泳いだのである。バタフライでも世界で通用するくらい速く泳げる池江選手ならではの二刀流である。

 それにしても自由形でバタフライを採用した池江選手のサプライズはエンターテイメント的でもあって、大いに驚かせ、歓ばせてくれた。この瞬間、僕は彼女の中にアーティスト魂を見た。新しいアートはある意味で社会的革命である。アートは何でもない普段われわれが目にしていて気づかなかったことに、新しい視点を与えて、本来の価値観を転倒させてしまう力がある。

 池江選手がやったことはまさにそのことで、われわれに新しい視点を与えたというわけだ。当り前のことに気がつかない、何の疑問も抱かないでボンヤリ眺めているところに、シュルレアリスムのデペイズマンという手法を持ち込んだのである。デペイズマンとは本来あるべきものを、別のところに位置転換することで、誰も気づかなかった価値や美を発見させられるのである。だから池江選手はクロールの中にバタフライを持ち込むことで、本来の価値を転倒させてしまったというわけだ。

 この池江選手の驚くべき、シュルレアリスムの行為に僕は芸術性を発見して、僕自身が目からウロコ的感動を覚えて、ぜひ僕も真似てみようと思ったのである。ところが、実は僕はすでに池江選手がやったことと同じことを池江選手より先に、「やっていた」のである。その話をしよう。

 こういうことです。1969年に僕はパリ青年ビエンナーレに、当時のコミッショナーの美術評論家の東野芳明さんから、フランスの現代美術展の版画部門に作品の出品を要請されたのです。ところが当時、僕はグラフィックデザイナーだったので現代美術の版画など手掛けたことがなかった。どんな作品を出せばいいのかさっぱりわからなかったのである。にもかかわらず東野さんは「ここしばらく日本の現代美術は世界から見放されているので、ここいらで、何んとか賞を獲りたいんだよ」というキツイ注目つきで現代美術の版画などド素人の僕を推薦したのです。

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