財津和夫さん
財津和夫さん

 大学在学中に結成されたバンド「チューリップ」がデビュー50周年を迎える。全国ツアーを控えた今、シンガー・ソングライターの財津和夫さんが語る、この50年の音楽業界の変化と、長寿グループ特有のコンサートの楽しみとは?

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 地元・福岡で出会った仲間と作ったバンド「チューリップ」で、1972年にレコードデビューを果たしたときは、「バンドなんて、長くは続かないだろう」と思っていた。

「当時は、3年頑張ってヒット曲を出して、小銭がたまったらさっさと解散するつもりでした(笑)。それが、休止の時期も経てではありますが、今年でデビュー50周年。97年にデビュー25周年のツアーをして、30周年、35周年と集まるうちに、習慣性が出てきてしまった。友達気分で始めたバンドなので、悪く言うとなあなあ、よく言えば家族的(笑)。毎回、集まるたびに揉めて、『もう顔も見たくない』となるんですが、しばらくすると、『家族の良い面が出るかもしれない』『そろそろまたやるか』と。その繰り返しです」

 ただ、45周年から50周年の間に、財津さんの死生観が変わるような出来事があった。2017年の春、45周年のツアー中、大腸がんであることが発覚したのである。6月に手術をし、ツアーに復帰できたのは、手術から1年3カ月が経った、18年9月のことだった。

「手術直後はものすごくやせ細っていました。再発防止の薬をどんどん体内に入れていたので、まるで生ける屍のようでしたね。外を歩くこともままならなかった。少しずつ回復していったのは、投薬をやめてからです」

 つらかったはずの闘病生活のことを話すときも、その口調はソフトで、どこかユーモラス。昔から何でも「なるようになる」と考えるのんびりした性格が、病気のときはプラスに働いた。

「人並みに野望も欲望もありますが、元々末っ子なので、小さい頃から諦め癖がついていた。食卓に食べたいものが並んでいても、兄貴が先にパッと取っちゃうのでね(笑)。日々、ままならない現実を受け入れながら生きてきたんです。将来の計画も立てないけれど、失敗したからといって反省もしない。そんな性格だから、がんの宣告を受けたときも『死ぬかもしれないな』と淡々と受け止めましたし、手術後に、執刀医から、『あと少しで腸壁が破れるところでした』と聞いたときは、『ギリギリで食い止められたということは、まだ生きるのかもしれないな』と思いました。でもまぁ、投薬が続いたときがいちばんしんどかったかな」

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