いずれにせよ、自分の力でどうにもならないことに望みを抱くのはそれ自体が失望の元。このような時は、ただ今できることを楽しむのが良い。
で、改めて自らを観察してみると、今現在も私、相当楽しくやっているのだった。退社してヒマになった分、ピアノやら書やらお茶やらの世界を得たことが大きい。昔はそのようなことを楽しむのは金がかかると信じていたが、やってみれば金のかけ方と楽しさには何の関係もないのが痛快であった。無論、肝心なのは自分の本気度である。
例えばピアノ。いくら下手でも、ピアノを弾くとは曲を自らの体と脳に染み込ませるってことで、それは作曲家と出会い、作曲家の人生の一部を生きるということである。書も茶も然(しか)り。自分なりにワクワクと向き合えば、別の時代の別の人になれるというタイムマシンのような奇跡を自分の手で作り出すことができるのだ。やってみるってすごいねホント。このような世界を日常的に得ていれば、海外旅行に行けないとガッカリしてる暇などない。
ってことで、私はいつの間にか、海外旅行以上に大きなものを得ていたのだなと悦に入る今日この頃である。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2022年2月21日号