少年時代を千葉の木更津で過ごした。4歳の頃に父母が離婚。シングルマザーになった母の一恵は姉夫婦の葬儀会社で働き、3人の子を育てた。
「智貴は小学生のとき、私の誕生日にお好み焼きを作ってくれたんです。わざわざ電車に乗ってデパートへ行き、ホタテとか海産物まで買ってきて。もう泣けちゃいましたね。優しくて反抗期もなかったので、逆に大丈夫かなと心配もしましたが」
お洒落な母は、自分が好きなブランドの子ども服を雑誌で見て注文し、子どもたちに着せていた。次男の智貴は手芸も得意だったと母はいう。
「小さい頃は折り紙が好きで『折り紙の本が欲しい』というので買ってあげると楽しそうに折っている。女の子がドレスを着た絵も描いていました。家庭科で裁縫を習うと、針と糸を持って何か作っていて。普通のお母さんは『危ないからやめなさい』と言うのでしょうが、私も放ったらかしで」
(文中敬称略)
(文・歌代幸子)
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