さらに、プーチン大統領とバイデン米大統領は、ウクライナをめぐる因縁の仲という。
「あの14年、ウクライナにポロシェンコ政権が誕生し、欧米路線をとるのですが、それをサポートしたのがバイデン副大統領(当時)だった。しかも、バイデン氏は息子ハンター氏をウクライナのガス企業ブリスマに送り込んで、テコ入れした。ですから、プーチン大統領は、ウクライナの後ろ盾となったバイデン大統領に対して大変な怒りがある」
■ウクライナ侵攻は「2人」で決めたか
プーチン大統領の怒りの背景にはNATOの「東方拡大」がある。1949年、設立時のNATO加盟国は12カ国だったが、現在は30カ国に増加。ゼレンスキー大統領もウクライナのNATO加盟を求めてきた。米国もそれを支持した。
これに対して「プーチン大統領は非常に敏感に、神経質に対応してきた」と中村教授は指摘し、こう続ける。
「実は、NATOは自主的に東方拡大したのではなく、東欧諸国やバルト3国はあまりにもロシアが怖いので、仲間に入れてほしかったわけです。NATOはロシアに圧力をかけるためにこれらの国々を引き込んだわけでは決してない。ところが、プーチン大統領に限ったことではありませんが、ロシアの一部の人たち、特に安全保障に関わる人は、実際に外から圧力がかかっていなくても、それを非常に過大にとらえて反応する。プーチン政権はそんなメンタリティーを利用して国内を固めてきた」
中村教授よると、3年ほど前からプーチン政権内では軍やFSBの影響力が弱まり、代わりに対米強硬派である安全保障会議の発言力が強まってきた。そのトップを務めるのがパトルシェフ国家安全保障会議書記である。
「とにかく彼は、ロシアの安全保障が第一、という思想の人。NATOに対して、どれだけ安全を確立できるかがロシア国家の存立基盤だと考えている。14年のウクライナ危機以来、ずっとロシアは経済制裁を受けていますが、安全保障が揺らぐくらいなら、どんなに経済制裁を受けても構わないと思っている」