1954年5月、バイオリンの演奏会を訪れた当時の皇太子さま(上皇さま・中央)、義宮さま(常陸宮さま)
1954年5月、バイオリンの演奏会を訪れた当時の皇太子さま(上皇さま・中央)、義宮さま(常陸宮さま)

<田島は私と三笠さんとのやうな事を東宮ちやんや義宮の事に心配してた様だけれども、二人は私は余程違ふと思ふとの仰せにて、それは教育が違ふ。東宮ちやんと義宮は同じ学習院へ通つてる>

 自分は御学問所で特別な人、弟たちは幼年学校や中等科で、みな違ったと天皇は語る。田島氏は「義宮様は軍人といふ昔のやうな事がなくなりましたが」と答える。学校の問題でなく、大人になってからの役割の問題だという指摘だろう。すると天皇は、こんなふうに語る。

<今は化学がいゝと思ふ。然し専門家になつて貰つては困る。相当の時間つぶしになつて、そして趣味の程度といふ事を考へる。丁度私の生物学等の程度のものに>

 弟宮には仕事がない。そういう田島氏に、時間つぶしが必要だと答える昭和天皇。何というリアリスト同士だろう。

 弟宮たちの直接の言い分は、『昭和天皇拝謁記』には見当たらない。が、こんな記述が49年12月にあった。

<高松さんは人が右といへば左と仰せになるといふ御話故、それは高松さんの御くせと存じますと申し上げ>

分け隔てせずいきたい

 御くせという言葉で、田島氏は高松宮の気性を表現したのだと思う。自分なりの視点を常に持ち、表明する。そういう気性だ、と。思い出したのが、天皇陛下の弟として生まれた秋篠宮さまだ。

 2018年、53歳の誕生日を前にした記者会見で、代替わりに伴う行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べた秋篠宮さま。弟宮歴53年の自覚は、兄には言えない意見を率直に語ること。そして国民と皇室との距離を近づける。そうわかる発言だった。

 秋篠宮さまが生まれたのは、65年11月。その翌月、上皇さま(当時の皇太子さま)は誕生日にあたっての記者会見で「私は二人を可能な限り、分け隔てしないでいきたい」と述べた。乳母制度を廃止した上皇さまと美智子さまだから実際、分け隔てなく育てたに違いない。が、やはり長男は違うのだとしみじみ思わずにいられないのは、美智子さまのこんな言葉だ。

 74年、40歳のお誕生日にあたっての記者会見、美智子さまはこう述べた。

「私一人の感じでいえば、浩宮の人柄の中に私でも習いたいというような美しいものを見出しています」

 浩宮、つまり現在の天皇陛下は当時、14歳だった。

 秋篠宮さまと親しい毎日新聞編集委員の江森敬治さんは共著『天皇交代』の中で、「秋篠宮を理解するキーワードの一つ」として「自由」を挙げた。

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