さらに言えば、今の「優しい笑い」のトレンドを作ったのは、2019年の『M-1グランプリ』でぺこぱが「ポジティブなツッコミ」を取り入れたネタを披露したことだった。このときにも、ぺこぱは面白かったからこそ高い評価を受けたのであり、道徳的に正しいネタだから評価されたわけではない。「面白いネタがたまたまポジティブな内容だった」だけであり、決してその逆ではないのだ。

 悪口や毒舌のネタを安易だと批判する人も一部にはいるようだが、そのような考え方こそが安易であると言わなければいけない。そもそも、単に人を悪く言うだけでは笑いなど起きない。それを面白いものにするためには、それなりの技術が求められる。

 お見送り芸人しんいちのネタでは、意地悪な目線を「好き」という一見ポジティブなパッケージにくるんだところが見事だった。「好き」という言い回しにすることで、かえって皮肉っぽさが際立つ効果があるし、「好き」というフレーズを発するタイミングで笑いどころを作ることができる。

 さらに言えば、たとえ悪口の対象となった人に真正面から批判されても「いや、僕は好きと言っているだけですよ」と言い逃れをすることができる。「好き」という言葉が一石二鳥以上の効果を持っているのだ。

 たしかに、人々が何を不快だと思い、何を許せないと思うかの基準は年々変わっていて、今ではたとえ芸人であっても悪口のようなことは露骨に言いづらくなってきている。ただ、それによって芸人の活動が不自由になる一方かというと、必ずしもそうとは限らない。

 制限があるからこそ、その中でどういう言い方をするか、どういうパッケージを作るか、というところに芸人の腕が求められる。もともと芸人は時代の空気を読んで笑いを作るのを生業としている。どんな時代でもやることの本質が変わるわけではない。

 そんなわけで、幸か不幸か、お見送り芸人しんいちの登場によって「優しい笑い」の時代が終わって「邪悪な笑い」の時代が訪れる、などということはない。人々の悪意も善意も、すべてを呑み込んで笑いだけを吐き出す芸人という生物の有望株が、また一体、世の中に放たれたというだけのことだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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