社名のミツモアは、「Meets More(ミーツ・モア=もっと出会いを)」と「見積もり」をかけた造語(撮影/写真部・松永卓也)
社名のミツモアは、「Meets More(ミーツ・モア=もっと出会いを)」と「見積もり」をかけた造語(撮影/写真部・松永卓也)

 だがバブル崩壊後の日本経済は長い停滞期に入り、2010年には42年間守ってきたGDP(国内総生産)世界2位の座を中国に明け渡す。石川が社会人になった頃には海外の人々から「昔はすごかったけどね」と言われる国になり、日本語を学ぶ人の数もがっくりと減った。

「経済が傾くとこうなるのか」

 桜蔭中学・高校からストレートで東京大学法学部に進み、公法を専攻した。そこでは「日本をもっと良くしたい」と真面目に考える若者たちが勉強に励んでいた。石川が官僚を目指すのは自然な流れで、在学中に国家公務員試験(1種)に合格し、環境省から内定をもらった。

■自分一人が頑張っても

 しかし入省前に職場を訪問した時、違和感を覚えた。環境省は中央官庁では小さい方だが、それでも3千人を超す職員がいた。自分一人が頑張っても、どうなるものでもない気がした。巨大組織の中で、物事を動かす立場に立てるポジションに上り詰めるには、何十年もかかる。

 一方、社会勉強のつもりで面接を受けた外資系コンサルティング会社のベイン・アンド・カンパニーは、日本事務所のトップが「一緒に働こう」と熱心に誘ってくれた。圧倒的に必要とされている気がした。官僚よりやんちゃで「ワーク・ハード、プレー・ハード(よく働き、よく遊べ)」を実践していた。

 官僚への道を進むとばかり思っていた父親は当惑したが、高校時代に自分の意思で中国の新疆ウイグル自治区に交換留学に行った娘が、いまさら親の言いなりになるとは思わなかった。

 石川は入社後しばらくして、ある地方銀行の成長戦略を描く仕事を任された。銀行が成長するには、融資先に成長してもらわなくてはならない。石川は自動車整備工場や食品加工会社など、中小企業に足を運んだ。

「あんた若いのに熱心だねえ。昼飯、食ってきなよ」

 社長に誘われ、一緒に立ち食いそばをすすった。エリートの世界で育ってきた石川が初めて触れた地方のリアル。石川は中小企業の経営が決して楽ではないことを知っていたが、経営者たちはそんな様子を微塵(みじん)も見せず、いつも明るく、きっぷが良かった。そんな人たちが雇用をつくり、経済を動かしている。

「ああ日本のGDPって、こんなふうにできているのか」

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