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 小説家・長薗安浩氏の「ベスト・レコメンド」。今回は、『ブラックボックス』(砂川文次著、講談社 1705円・税込み)を取り上げる。

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 第166回芥川賞を受賞した砂川文次の『ブラックボックス』は、自転車便のメッセンジャーであるサクマが、交差点で左折車を避けようとして転倒する場面からはじまる。その動きも感覚もくどいほど細密に描かれていて、数頁も読みすすめると、私は主人公の内面へと引きずりこまれた。

 現在28歳のサクマは、高校卒業後に入隊した自衛隊を1任期で辞め、その後も職を転々とした末にメッセンジャーとなった。周囲に対する突発的な暴言で退職をくり返してきた彼にすれば、個人の力量がものをいう現職は、まだましな仕事だった。

 とはいえ単発で仕事を請け負う個人事業主だから、安定性はなく収入も低い。将来への展望もなく、10代の頃から抱いてきた<遠くに行きたい>という願いとは裏腹の日々がつづく。ふと自己嫌悪や憤懣がよぎることもあるが、深く考える前にどうでもいい会話やゲームに逃げ、不機嫌なまま仕事をくり返す。

 そんなサクマが自身と向きあうのは、作品の後半、刑務所で懲役刑に服してからだ。懲罰のため独居房に入れられ、無言のまま否応なく内省し、ずっと曖昧にしてきた問題の答えを探求していく。このあたりの自問自答の展開は、人がどんなところで人生に躓(つまず)き、それがその後にどのような影響を及ぼすのか、瘡蓋(かさぶた)を剥がすように見せつける。私にも思い当たる点が多々あり、何度も胸が苦しくなった。

 サクマが見出した答えが出所後の彼を救うかは、あやしい。しかし、ブラックボックスである人の内面をここまでリアルに描かれると、つい好転を願ってしまう。なぜなら、彼の焦燥と願望が、私たちの現状と深部で繋がっているからだ。

週刊朝日  2022年3月18日号